記事|実績
WORK
ソニー中国成功の影の立役者 添田 武人さん

ソニー中国成功の影の立役者 添田 武人さん

隣国であり、顔も文字も酷似しているのに、文化や慣習は驚くほど異なる日本と中国。
急速に発展を遂げる巨大マーケットを狙ってさまざまな日系企業が進出しているが、ビジネスとして成功するのはごくわずかだと言われている。
そんな中で、Kellogg Class 2006の添田武人さんは、日本企業が中国で成功するための専門知識をもつ稀有な存在だといえるだろう。
「中国と日本、両国の文化の架け橋になることが僕の役割なんですよ。」
そう語る添田さんは、ソニー中国ビジネスの基礎を築き上げ、その後、中国企業バイドゥー(Baidu)日本法人のマーケティング部長を経て、現在グリー株式会社の海外進出を推進する人物だ。

中国インサイダーの経験を活かし、ソニー盛田氏と大賀氏の下で働く

日本と中国の国交が樹立したのが1972年。既に両親が北京で仕事をしていた添田さんは、1967年に北京で生まれ、小・中・高と現地の学校で学び、その後、北京大学を卒業するまで中国で過ごした。

彼のこの珍しい経歴に目をつけたのがソニーだった。添田さんはソニー入社後、国際企画部に配属される。当時のソニーはCEOが盛田氏、社長が大賀氏の時代で、添田さんの主な任務は、これら役員の業界活動の支援であった。

「駈け出しの社会人として、日本を代表するグローバル企業のトップの傍で学べたことは本当に幸運でした。振り返ると、盛田さんや大賀さんがやっていたことが、後にケロッグで学んだ内容そのものだと感じました。」

ケロッグに入学した2004年、添田氏が最初に学んだことは、「意見を言うことの意味」だ。「自分の意見をはっきりと主張しなさい。多くの意見が集まれば、そこに多様性が生まれ、結論もより包括的で高いレベルに昇華される可能性が高まる。」

添田武人氏

日本がまだ根回しや協調によって物事を推し進めていた時代に、盛田氏も大賀氏も驚くほど主張が強く、率直な意見を述べる人たちだった。彼らの言動によって各界でのソニーの存在感が増大していくのを肌で感じることができたと添田氏は言う。

テレビの電源を入れることから始まった、中国でのマーケティング活動

ソニー入社3年目に、添田さんは突然上海への片道切符を渡される。
当時中国ではソニー製品が販売され始めた頃で、添田さんの仕事は、何もないところにビジネスを確立することそのもの。まさに「白い紙に、自分で地図を書く感覚」だったという。

「当時の中国では、外資企業の輸入販売は許可されていませんでした。ソニーは香港に販売会社を持っていたので、現地の中間流通業者と販売店を見つけて両者をつなぎ、店頭でプロモーション活動をかける。そうやって最終需要を掘り起こし、製品のサプライ側と一体となって商品の流通システムをつくりあげることが仕事でした。

ところが当時の中国にある電気店といったら、商品にホコリが積もっているし、テレビは電源が入っていないまま。『モノを売る』方法を一から教えなければなりませんでした。」

中国育ちの添田さんは幸い、現地の文化を熟知し、言葉もまったく問題が無かったので、うまく彼らの懐に入り込むことができた。とにかくテレビの電源をonにすれば、地元製や他社製とソニー製との差は一目瞭然なわけだ。

「僕の任務は海外マーケティングだったはずですが、マーケティングの基礎の基礎からのスタートでした。春のブライダルフェアや体育大会時期のビデオカメラ・フェアなど、イベントのやり方や発想を教えたり、商品に手書きでポップをつけるなど、販促の考え方や方法を店員と一緒に作っていきました。」

添田 武人氏

中国市場の基礎を一から築いた貴重な経験を持つ添田さん。この「中国インサイダー」としての知識と経験が買われ、次はとんでもない任務が彼を待ち受けていた。

ソニーの中国ビジネスを揺るがす大事件解決に奔走

添田さんは突然、ソニーの人事担当役員にじきじきの指令で日本に呼び戻された。実は、ソニーと現地政府の間に大変な問題が発生していたのだ。

「当時ソニーはアメリカのコロンビアピクチャーズを買収して、ソニーピクチャーズを設立し、エンターテイメント事業を本格的にスタートした頃でした。その時、中国を題材にしたとある映画が中国の逆鱗に触れてしまったのです。」

「日本やアメリカで、役員が数回にわたって現地大使館から呼び出され、上映差し止めを要請されました。そして、この映画を上映するなら、現地で不買運動が起きるかもしれない等など様々なシナリオが描き出され…。丁度その頃中国でソニー製品の品質問題についてメディアバッシングされたことも重なって、中国でのソニーブランドの建て直しが喫緊の課題となったわけです。」

再び北京に赴任した添田さんのミッションは、中国政府とのこじれた関係を解きほぐし、中国でのソニーブランドの信用を回復すること。この途方もないクライシス・マネジメントにどのように挑んだのだろうか。

「中国政府の主張は、映画が取り上げたテーマは複雑な事情が絡む中国の“内政問題”の一つということでした。そしていかなる海外の企業も組織も、中国で事業活動をするうえで“内政不干渉”のルールをまず守るべき、というものでした。中国からすれば、映画もメディアもプロパガンダなのです。でもハリウッド側からすれば映画はビジネスでありエンターテイメント。特定の国を批判する意図などまったくないわけです。その発想のずれをどう修正するか、考えに考えました。」

添田さんは、現地の行政機関、テレビや映画など各メディアと折衝を重ね、地道に説得しながら、とうとう、お互いに合意できるソリューションを編み出した。「ソニーが中国地元のコミュニティメンバーであるというイメージを持ってもらうため、日本企業として初の子供向けの教育施設であるソニーエクスプローラーサイエンスというミュージアムを立ち上げました。現地の子ども達が科学の面白さを体験できる教育貢献施設ですが、すこぶる評判が良かった。他にも、北京大学ビジネススクールにてソニーのマーケティングフォーラムを開催したり、中国にとって有益な活動を行っていくことで、中国政府のソニーへの見方が変わりだしたんですね。

また、中国を題材にした別の映画『グリーン・ディステニ―(Crouching Tiger, Hidden Dragon)』が映画部門によって企画され、中国政府が納得するようなやり方で作っていきました。その映画がアカデミー賞の外国語映画部門賞を取るなど、世界的に評価が高くなり、中国政府におけるハリウッドの信頼回復に役立ってくれました。

問題の映画の方も、配給方法を工夫したり、歩み寄る姿勢を見せることで、公開にこぎ着けることが出来ました。こちらもヒットしましたよ。」

添田 武人氏

まさに、添田さんでなければできなかったソリューションである。中国人のスピリットを尊重しながら、クリエイティブなソリューションを実行し、繊細なフォローをした結果であろう。

このような地道な活動は、その後のソニーのブランド向上に寄与。2001年、「中国の大学生が最も就職したい外資系企業トップ10」に、ソニーがトップ5にランキングされた。

中国と日本―共に成功する方法がある

「中国の人たちは、一度学ぶと、キャッチアップが驚異的に早い。加速度のついた変化を起こすんです。世界中からさまざまなモノや文化が一気に押し寄せてくる中国では、ひとつひとつ積み上げていくような発想はないのですよ。」

幼少期から中国で育ち、中国を誰より理解しているといっても過言ではない添田さんに、日本企業が中国で成功するための秘訣を聞いてみた。

「例えば、日本的もてなし、行き届いたサービス、完璧な衛生管理や正確な時間管理など、日本では当たり前でも、中国にはないものはたくさんあるのです。

こうした両国の違いが、日本と中国企業をビジネスで結びつけるのに貢献できる分野になると思います。中国は日本をとても知りたがっています。だから日本から持ち込むモノにはとても興味を示してくれる。相手が知らないことを提案して、相手と一緒に考えていくことで賞賛され、信頼を得ることができるのです。」

一方、添田さんは、中国企業のグローバル化については、長期的な視点にたって自分たちの真の強みをしっかり理解したうえで事業展開すべき、という持論をもっている。

転職した中国の検索エンジン最大手のバイドゥー株式会社を通じて、日本で中国企業が成功することの難しさを身をもって体験したという。中国国内で大成功した中国企業は、その成功経験を捨てられず、同じやり方を日本に持ち込もうとして、さまざまな課題に直面した。

「中国企業のグローバル化は、まだまだこれからです。特にサービスというのは、物質と違ってローカル性が高いので、現地の文化やニーズをいかに理解して商品にブレンドするかが重要なのです。中国企業は、大きなポテンシャルを持ちつつも、まだ課題が山積みだと感じています。」

「千里の道も一歩から。自らのコンピタンシーや価値提供の優位性を冷静に見極めつつ、進出先国でニーズにマッチした商品やサービスをいかに提供できるかをしっかり見極めて活動を展開すれば、近い将来、世界市場で輝く中国企業がグローバルステージに登場してくるに違いないと思います。」

添田 武人氏

添田さんは若くして、中国と日本の架け橋となって貢献を重ねてきた。優しい笑顔、おだやかな口調の中に、日本を愛し、そして中国をも愛する熱い情熱が感じた。両国をビジネスでつなぎ、win-winを実現できる貴重な中国マーケターである。次のステージ「グリー株式会社」でも、添田流マジックが見られることを期待している。

取材・文責:ケイティ堀内

*この記事は、ケロッグ・クラブ・オブ・ジャパン(ケロッグ経営大学院 日本同窓会)が運営するサイト、ケロッグ・ビジネススタイル・ジャパン向けに執筆したものです。

コメントは受け付けていません。

Page Top