社会へ恩返しする企業の礎を築いた サントリー創業者・鳥井信治郎氏
「リーダーは利益をいかに分配するかを問われる」
コロナウィルスの影響で、全国の公立小中学校が休校を余儀なくされた日本。現代の日本社会では学校教育は当たり前だ。しかし、かつて日本にも教育が行き届いていない時代があった。
そんな中、かつての実業家たちの貢献により設立された学校が日本には数々ある。サントリー創業者の鳥井信治郎氏(以下、鳥井氏)が尽力した、兵庫県宝塚市にある雲雀ヶ丘(ひばりがおか)学園もその一つだ。
雲雀丘一帯は、古くからの住宅地でありながら教育機関に恵まれず、教養・文化の高い居住者達の間に、この地にふさわしい学園を要望する声が高まっていた。そこで、戦後間もない昭和24年(1949年)、この地域の住民、財界、教育界の有志により、社会奉仕の目的のもとに学園創立の委員会が生まれ、初代理事長・鳥井氏を委員長として、同年4月に小学校が開校した。
地元住民である私は、子供の頃から、この学校を電車から見ていた。しかし、この学校に、そんな経緯があったことは、全く知らなかった。それもそのはず。鳥井氏は、かつての日本人が美徳とした「陰徳」(孟子の教え)を大切にし、自らの功績を公言することはあまりしなかったからだ。
そんな鳥井氏の社会貢献活動への根底には、同社の「利益三分主義」がある。信心深かった鳥井氏は、事業によって得た利益は、
・ 「事業への再投資」
・ 「お得意先・お取引先へのサービス」
にとどまらず、
・「社会への貢献」
にも、役立てたいという信念を持っていた。
その最初の社会貢献活動は「邦寿会」。貧しい人々のため、大正10年(1921年)に大阪市西成区に今宮診療所を開設し、無料診療と投薬を行ったのが活動の始まりだ。
そんな父親の背中を見て育った次男、佐治敬三は、やがて、志を受け継ぎ、二代目社長として父の創業した会社を「生活文化企業」へと導いていく。
文:堀内秀隆
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