世界一の慈善事業家 ジョン・ロックフェラー
皆さん、私が、今年の前半に、非常勤講師として大阪大学で授業をもっていたことは覚えていらっしゃいますか?
授業は、大学1~4年生を対象に、「国際キャリア学入門」という名称で、自分のブランドを中心にキャリア展開を考える事を中心とした授業でした。大変好評で、220名という最大人数が集まりました。
なんと、今回、早稲田大学生を中心に、同じ内容をぎゅっと凝縮したセミナーを開催することになりました!
東京の学生は、どんな反応をするんだろう。今から、期待とやる気で一杯です。
皆さん、ビルゲイツやウォーレン・バフェットという方々が,大変な資産家だということは知っていると思います。ちなみに、ビル・ゲイツの資産は、約6兆円といわれ、10年以上、長者番付で一位を維持していました。でも、アメリカ史上で考えれば、5番目だといわれています。
では、アメリカ史上、一番の富豪は誰だと思いますか?
それは、かの有名なジョン・ロックフェラー氏(John Davison Rockefeller, Sr., 1839 - 1937)なのです。
彼は、1937年に亡くなっていますが、彼が築いた資産を、現在の貨幣価値で換算した場合、20兆円以上にもなると推定されています。
彼は、石油ビジネスを通じて、世界一の富豪となり、また、第2の人生として、世界一の慈善事業家として、社会に多大な貢献をしました。
ロックフェラー財閥については、資本主義の巨悪の象徴として弾劾されたり、さまざまな批判記事も少なくありません。
このメルマガでは、ジョン・ロックフェラーの、ポジティブな面だけに光を当て、私達がステキなグローバル人となるために学びを求めたいと思います。
●ジョン・ロックフェラーのプロフィール
ジョン・ロックフェラーは、アメリカの実業家、投資家であり、慈善事業家でもあります。
ジョン・ロックフェラー
ニューヨーク州のリッチフォードで、6人の子供の2番目に生まれました。生活は貧しく、父親は奔放で、よく仕事のために家を空けました。
ロックフェラーが敬虔なクリスチャンだって知っていましたか?
彼の一家は、キリスト教バプテスト派への信仰を基本とし、特に、母親から、聖書を基本とした教育を多く与えられました。
よって、彼は、幼い頃から、毎週日曜日に教会へ行き、廊下の掃除などの奉仕、そして、聖書を学んでいたのです。
彼は、母親を通じて、働くこと、節約、そして、教会へ奉仕することの大切さを学んだといいます。
その後、オハイオ州クリーブランドに引越し、高校卒業後は、穀物などの委託販売会社で、「経理」の仕事に就き、忠実な仕事ぶりは高く評価されたといわれています。
まもなく、1858年に、知人モーリス・クラーク氏と共に「クラーク・ アンド・ロックフェラー」を設立し、事業も順調でした。
たった1年後の1859年に、石油が機械により掘り出されたというニュースを聞きつけ、すぐに、石油も商品の一部として取り入れました。しかし、あることが理由でクラークと対立したロックフェラーは、その精油事業を買収して、アンドリュース氏と共に、「ロックフェラー・アンド・アンドリュース社」を設立しました。
彼は、石油こそ、ビジネスチャンスであると信じ、石油関連事業にのみ、専念し、投資しました。
とうとう 1870年に「スタンダード・オイル社 (Standard oil-ohio」を、設立させました。事業は大成功し、ロックフェラーは、若くして、大富豪となり、石油王とも呼ばれました。
成功するに従い、貪欲に、原油生産、石油精製、輸送、小売にいたるまで、石油に関する全部門を支配していきました。また、石油事業の競合他社を買収していき、市場の90%以上を占有しました。
その結果、消費者、事業者、そして政府からも、批判の声が増加し、「反トラスト」、「反独占」の世論が形成され、ついに、1911年にスタンダード・オイル社は、30以上の新会社に分割されてしまいました。
現在あるシェブロン、エクソンモービルなどは、かつてのスタンダード・オイルなのです。
しかし、分割の結果、株価が急騰し、皮肉にもロックフェラーの金融資産は、5倍以上になって、彼はさらなる富豪となりました。
58歳で、引退表明し、その後は、自らの使命を、「莫大な財産を貯めること」から、「莫大な財産を使うこと」に変え、世界一の慈善事業家になりました。
1937年、98歳、彼は静かに息を引き取り、家族やスタンダードオイル社ロックフェラー創設に貢献したパートナー達と同じ墓地に葬られました。
●ステキ・ポイント1:「類まれな判断力と大胆な行動力」
彼はもともと、もの静かで、落ち着いていて、いつも考え込んでいる、言葉少ない、忍耐強い性格でした。
しかし、自分には「お金を稼ぐ才能があった」、と感じていました。
ですから、ビジネスへの嗅覚はすごいものを持っていました。
当初は、20代で起業した「クラーク・アンド・ロックフェラー」社で、穀物などの販売をしていましたが、まもなく、石油が発見され、その価格が上昇しているのを、冷静な判断で見ていました。
そして、原油の生産よりも、精油や輸送が、本当の利益をもたらす事を見抜き、そこに投資していったのです。
また、1885年オハイオ近くで、硫黄成分が混じった油田が発見されました。しかし、原油の質はとても悪く、機械は故障するし、煤煙もひどいし、誰もが商品になるとは思いませんでした。
しかし、ロックフェラーは、この油田を買収する提案をしたのです。当然、他の経営陣も、社員も、猛反対しました。皆、ロックフェラーの頭がおかしくなったと思いました。失望して、同社の株を売却した者もいました。
ロックフェラーは、自らの個人資産も担保にするという形で、経営陣を説得し、結局、その油田を全て買収しました。
そして、精製技術者に頼んで、自分の個人資産をかけるから、販売できるレベルまで精製して欲しいと嘆願し、結果、硫黄成分の除去に成功しました。当然、特許にもなり、最大規模の油田を確保した形となり、おまけに、天然ガスもとれて、大成功のプロジェクトとなりました。
皆さん、どうですか? ロックフェラーの判断力とその行動力は、すごいものがあると思いませんか?
自分が頑張っていることに対して、周りから、「気が狂ったの?」とか「馬鹿な投資をして」、なんて言われたら、自信を無くしたり、決断を変えてしまいがちだと思います。しかし、彼は、失敗を恐れず「人が理解できなくても、自分で決定をして、先頭を歩いていった」のです。
こういう人が巷でいう「パイオニア=開拓者」なのでしょう。
私は、ある成功した事業家から、「本当のビジネスチャンスは、一見ビジネスチャンスに見えない」といわれたことがあります。
つまり、誰もが売れる、と思うものは、ビジネスチャンスではなく、誰もが売れない、と思うものに、ビジネスチャンスがある可能性があるのです。
しかし、考えてみてください。誰もがやっていない、あるいは、多くの人が反対するようなビジネスに、莫大なお金を投資する事がどういうことなのか? 自分や他人の膨大な時間を投入して、結果が でるまでの間、ひたすら努力するプロセス、、。
開拓者が感じる期待や不安は、相当なものだと思います。心穏やかでなく、ストレス一杯で、スターバックスコーヒーの量が増えても耐えられるかどうかわかりませんよね(笑)。
将来、当たるか当たらないかわからないものに投資する、つまり、大きなリスクをとって、結果が出るまで続ける、、そういう努力をしてきた方々が、「成功者」だと思います。
私たちは、不安や恐怖から、世間一般が認めるような形での、「確実性」を求めがちです。でも、ちょっとだけその考え方を止めて、「理解されない、認められていないチャンス」に、目を向けてみてはどうでしょうか。
その視点、それが、私たちの人生の成否を決めるような気がします。
●ステキ・ポイント2:「収入の10分の1を必ず献金していた事」
ロックフェラーは、幼い頃から、母親に、「3つの約束を守る」ことを教えられていました。それは;
1)10分の1献金を捧げること
2)教会に行ったら、一番前の席に座って、礼拝を捧げること
3)教会に素直に従い、牧師を悲しませない事
でした。
彼は、どれも忠実に守りました。その中で、最もすごいと思うのは、10分の1献金です。彼は、幼い頃、母親から小遣いをもらっても、その10%を献金していました。そして、事業を立ち上げても、継続しつづけ、収入が増えるたびに、献金額も莫大に膨れ上がりました。
10%というのは、どれぐらいの金額になるのでしょうか。例えば、1億円稼いだら、1千万円、10億円稼いだら、1億円、そして、100億円であれば、10億円ということになります。
彼は、収入と献金額を40名の職員を雇ってまで正確に計算させ、記帳していきました。だから、献金額が記録に残っていたのですね。
日本人にとって、この10分の1献金という概念は、一般的ではありません。しかし、クリスチャンにとっては、ごく当たり前の事です。つまり、自分の収入のうち、10%を教会などを通じて、「神様にお返しする」という事なのです。
多くの人は喜んで行います。しかし、彼ほどの収入になると、つい、「まった」をかけたくなるでしょう(!)。
実際は、10分の1献金以外にも、多大な寄付をしました。
一方、自分自身の出費については、倹約家に努め、莫大な資産額に比べては質素な生活をしていたようです。
クリスチャン社会であるアメリカで、献金やボランティアが一般的なのは、税金優遇という制度も一つの理由ですが、「聖書」の教えも大きな影響をもっているのです。
私たちは、自分の収入を○○にまで上げたい、とか、どうやったらお金が溜まるだろうか、なんて考える事は容易です。しかし、貯めたお金を、自分のためだけに使うという前提で、貯金の目標を設定していませんか?
もし、世界の事業家が社会のために献金している姿が、かっこいいと思われる方がいたら、一度、自分の収入を、何に使っているのか、何に使うべきか、考えてみることは良いことだと思います。
ロックフェラーのように、多くを与えることによって、多くをさらに還元される人生を送れるかもしれませんよ。
●ステキ・ポイント3:「世界一の慈善事業家を目指したこと」
世界一の富豪になったロックフェラーですが、55歳のときに、とうとう病に襲されてしまいました。どうやら、事業に専念しすぎるあまり、体を酷使してしまっていたようです。気管支、不眠症、消化不良、皮膚病、、、。髪の毛と眉毛も抜けていきました。
医者から、あと1年以内の命と宣告されたのです。
このとき、初めて、「人生は、お金が全てではない」と悟ったといいます。今まで、10分の1献金など、模範的と思える行動をしてきましたが、結局、「自分のために」やってきたことだと気付いたのです。
彼は休養をしはじめ、クリスチャンだっと彼は必死に祈りました。
そして、この病気を機に、引退を決意し、これからは、「自分の財産を人類の福祉のために用いて、世界一の慈善事業家になる」という決断をしました。
慈善事業家として彼やその一族が残した偉業は、主に、教育、医療、文化の復興です。以下が、その一部です;
○シカゴ大学の創立を含む全米24箇所の総合大学の支援
○一般教育委員会(General Education Board, GEB)の設立
○ロックフェラー財団の創設
→当財団の研究スタッフに、野口英世もいて、その研究費の助成。
○ロックフェラー医学研究所、ロックフェラー大学の設立
○ロックフェラーセンターの建設
○数千もの教会の建築(NYの有名なリバーサイド教会もそうです)
○国立公園や国際連合など設立するため、無償で土地を提供
○ニューヨーク近代美術館(MoMA)の建設
などなど。。。
特にすごいのは、ロックフェラーセンターの建築です。1929年10月に、NYの株価暴落をきっかけに始まった金融恐慌で、多くの人々が、不安と恐怖にさらされました。
ロックフェラーセンターは、この大恐慌時代の真っ只中である「1930年」に建設が開始されました。その後、建設完了までの9年間、多くの人に安定した職を提供しました。
ロックフェラーセンター建設に関わった人々は、感謝の気持ちで一杯でした。当時の人々が、感謝の気持ちを形にしようとして飾ったのが、かの有名なロックフェラーセンターのクリスマスツリーなのです。「クリスマスツリー点燈式」は、現在も続いていて、クリスマスの季節になるとが行われ、観光名物になっています。
このロックフェラーセンターは、16棟のビルで構成され、ラジオシティー・ミュージックホールや、NBCなどのテレビスタジオ、映画館、ショッピングセンター、そして、聖パトリック教会などが入りました。
また、これらの建物は、全て、地下鉄とつながっていて、最高の利便性です。史上初ということから、先進的な複合文化空間とみなされました。
ロックフェラーのこれらの偉業を通じて、感じること、、、それは、人というのは、「死」を目の前にした時、本音で、「自分が生きる意味」について考えるのではないか、、ということです。
なぜ、生きたい、と思うのか、、、。
多くの人々は、命の大切さを忘れて。「目の前」の仕事や行事に追われています。しかし、「もし、あなたの命は、あと3ヶ月です」、なんていわれたら、100人いれば、ほぼ100人とも、生きたいと、望むはずです。
「死ぬなんていやだ! 私は子供にまだ何も残せていない」、
あるいは、
「私は妻(夫)ともっと一緒の時間を過ごしたかった」とか。。
ロックフェラーの場合は、
「どうか、私の健康を取り戻してください。長生きしたいからではなく、稼いだお金を、この世のために用いたいからです」
だったのです。
この決断をした後に、生まれ変わったロックフェラーは、初めて、心からの幸せや喜びに満たされた人生を送ったといわれています。
そして、神様がその祈りに答えたかのように、体調が回復し、98歳という、長寿を全うできたのです(信じられない!)。
もしかして、ロックフェラーが巨万の富を与えられたのは、このような、社会に富を還元するためだったかもしれませんね。
私たちは、大義名分でなく、「本音で」、どう人生を生きたいか考えたいものです。それを与えるきっかけが、もしかしたら、病気や大きなトラブルかもしれません。
でも、心から目指したい目標が見つかることって、素晴らしいと思いませんか? その目標が、自分だけでなく、他人をも幸せにするなんて、もっと嬉しいと思いませんか?
私も、小額ですが、アフリカの子供に毎月寄付金を送ってます。でも、将来は、もっと大きな社会貢献ができる人物になりたいという夢ももっています。
人生を、自分にとっても、他人にとっても、善を提供できるように、自分の人生を活用する、そんなゴールを探してみたいものですね。
●ステキ・ポイント4:「最高のPRパーソン起用により、イメージだけでなく、行動も大改革できた事」
ロックフェラーは、1914年頃から、アイビー・リー氏(Ivy Lee, 1877 - 1934)を広報(PR)に関するアドバイザーとして、起用しました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ivy_Lee
実は、PRは、20世紀初頭に米国で登場したといわれていて、リー氏は、後に「PRの父」と呼ばれたほど、現代のPRの根幹を作った人だといわれています。
当時のPRとは、自分の主張を前面に押し出し、世論を味方につけるために活用されているような類で、「自己防衛的な一方向型」だったのです。
しかし、リー氏は、「正確性、信頼性、顧客の利益」をモットーに、正確な情報を、わかりやすい言葉でパブリックに発信した最初の実務家です。コミュニケーションを通して、一般社会との相互理解を醸成する、”双方向性コミュニケーション”という概念を実践しました。
例えば、彼の代表的な仕事として、「ペンシルバニア鉄道会社」(Pennsylvania Railroad)による列車事故があります。鉄道会社は、ひたすら事実を隠そうとしましたが、リーの提案は違ってました。
彼は、記者たちに、事故が起きたら、即座にプレスリリースを発行し、情報開示に努めました。また、事故現場に招いて、状況を実際に見てもらい、マイナスとなるような事実情報をも積極的に開示したのです。
これが好意的に受け入れられ、マスコミとの関係が大幅に改善されました。
ロックフェラーは、リー氏とのパートナーシップの最初の仕事として、コロラドで起きた大規模なストライキのメディア対応を依頼しました。また、ジョン・ロックフェラー自身のカウンセラーとしても活躍しました。
リー氏は、ロックフェラーがいかに巨額な資金を寄付したかという内容でなく、寄付を受けた人々による”感謝の言葉”を活用しました。また、自分の庭園を一般の人に解放したり、教会への奉仕、ゴルフが好きなこと、などに焦点をあてていきました。
また、ロックフェラーの回顧録や自叙伝を出版したりして、彼の思いや、パーソナルな一面を世間に伝えました。また、建設中のロックフェラーセンターの見学会なども催しました。
大恐慌のときには、自らの5700万ドル(約57億円)という金融資産が、たった700万ドル(7億円)にまで減ってしまいました。しかし、このときも、リーの独創的なアイデアが功を奏しました。ロックフェラーは、街を歩いては、真新しい銀貨を分け与え、人々に、希望を持ち続けることを伝えたのです。人々は、ロックフェラーからもらった小銭を、お守りのように大切にしました。
一昔前、ディズニーで、John D. Rockerduck (ジョン・ロッカーダック)というキャラクターも作られました。大金持ちの男性という設定で、ドナルド・ダックの関係者ですが、これは、ロックフェラーをイメージして作られました。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_D._Rockerduck
これら多くのPR活動の結果、ロックフェラーやその一族のイメージが大幅に改善され、ロックフェラーは人々から尊敬されるスターとなっていきました。
優れた経営者は、優れたPR担当を雇うべきだと思います。
なぜなら、自分の優れた点は、他人に理解されるとは限らず、その魅力を伝えるのに、「第3者の視点」が必要だと思うからです。
人々は、ありきたりの情報は求めていません。人々の心に響くように伝えるには、客観的な視点での「コミュニケーションスキル」が必要です。経営者自身がその力を持っているとは限りません。
私たちH&Kは、経営者やデザイナー、プロフェッショナルの「魅力」を「ヒト・ブランディング戦略」として提案します。その際に重要視するのは、彼の「ストーリー」です。そのストーリーには、彼の情熱、思い、パーソナルな一面が大切になってきます。
そして、それらを、メディアを通じて雑誌や新聞などに取り上げてもらい、ウェブやイベントなど、あらゆる方法で、コミュニケーションしていくのです。
100年も前に、ヒト・ブランディングを実践していたロックフェラーに乾杯!です。
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