ITが貧困格差を埋める-グラミンフォン創業者 イクバル・カディーア
皆さん、オフィス環境やインテリアデザインって、どれくらい関心ありますか?
パートナーのヒデと私は、この週末に、オフィスの色や配置、ディスプレーなど、変更しました。「自分たちのブランド」を反映させ、より効果的な仕事を実現するためです。机やキャビネットに小さな変更を加えるだけで、と~っても気持ちがよくなりました。
例えば、ファイルの色。紺色とか黒などが典型的な色ですが、私たちは、クリーンで、わかりやすいイメージの「白」で統一しました。お陰で、オレンジとグリーンの椅子の色が、アクセントとしてより引き立ちました。
「オフィスに自分ブランドを反映させる」、ぜひお奨めです。
今回は、世界の最貧国の一つ、バングラデシュの『グラミンフォン』を創業した起業家、イクバル・カディーアのステキポイントを分析したいと思います。
この会社を通じて、所得階層の底辺にいる、BPO(ボトム・オブ・ザ・ピラミッド)の人々を対象にしても、収益性が高いビジネスが可能だということを感じてもらえるでしょう。
●バングラデシュという国
この国名を聞いて、どこかの貧しい国としか印象を持たなかった私。 調べれば調べるほど、よくこんなひどい環境下にある国で、ビジネスを決意したと感心するばかりです。
同国は、今でも世界最貧国の一つで、一人当たりのGDPは約400ドル。一日2ドル未満の所得で暮らしている人が80%以上います。人口が1億4000万人と多いですが、70%以上が農村部に居住し、国土の80%に電気が通っていません。電話普及率は、グラミンフォン設立後は改善されましたが、当時(1990年代)は、1000人当たり、2台という状況でした。
地理的には、インドとパキスタンの間に位置しており、もともとインドの一部でイギリス植民地でした(なるほど、だから英語がうまいのか!)。1947年のインド独立運動を機に、パキスタンの一部として独立(同じイスラム教なので)。1971年に、パキスタンとの独立戦争を経て、バングラデシュとして独立しました。首都はダッカ、公用語はベンガル語です。
同国の発展を阻害している理由はきりがないほど多いです。不安定な政権、汚職、クーデター、ハルタル(ストライキ)、イスラム過激派の脅威、毎年起こる洪水(国土の大部分が、ベンガル湾沿いのデルタ地帯)、多発するサイクロン、非効率な国営企業と脆弱なインフラ、高い税金、、、。
多くの悲劇も起こりました。1971年の独立戦争中(カディーア13歳の時)、パキスタンの軍隊が侵攻し、9ヶ月に渡って殺戮やレイプを続けました。特に狙われたのは、知識階級でした。結局、100万~300万人のバングラデシュ人が殺されました。
1972年に、カディーアの父は、フェリーの事故で死亡。1974年には、破壊的な洪水により、国土のほとんどが浸水し、150万人が死亡。カディーアは、幾つもの死体が川を流れていくのを見ています。
バングラデシュは、自由になりましたが、同時に、貧しく、世界でも最も腐敗した国になってしまったのです。
●グラミンフォンとは?
そんな最貧国で、立ち上げられた「グラミンフォン」という会社は、どんな会社でしょうか。同社は、民間企業として、1997年にイクバル・カディーアにより創業されました。
http://www.grameenphone.com/
当時は、電話は1000人に2台という最悪の普及率で、新規に電話回線を引くには、政府にコネがないと、10年以上待たねばなりませんでした。そのため、地元の人は、売りたい商品のニーズを調べることも、顧客に連絡することもできない不利な状況で、ビジネスを発展を著しく阻害されていました。
「つながることは生産性だ (Connectivity is productivity)」。
今では有名なフレーズですが、この発想を得た彼は、グラミンフォンを立ち上げ、町や村の一角や店頭で、携帯電話を分単位で貸し出すサービスを提供したのです。
大変な道のりでしたが、結果として、事業は大成功しています。同国で最大の市場シェアを持ち(50%強)、加入者は1600万人、売上は1000億円以上という驚異的な数字です。また、電話普及率は、現在では、7人に1人と改善されました。この数字をみて、カディーアやグラミンフォンの貢献の大きさがわかるでしょう。同社は、『成功した新興国でのビジネスモデル』として尊敬され、現在も、地元の人に希望を与え続けています。
●イクバル・カディーア氏はどんな人?(Iqbal Quadir)
このグラミンフォンの創業者であるイクバル・カディーア氏とは、一体、どんな人物でしょうか。
イクバル・カディーア
彼は、1958年、バングラデシュで生まれました。少年期に数々の悲惨な状況を経験し、腐敗した同国に失望。海外でつくられた汽車に乗ったり、外国人が多くの給与を得ているのを見て、海外に希望を見出し、1976年に、アメリカ留学を果たしました。
当時の彼には、『何もなくなった』という表現がピッタリでしょう。
そして、一見ネガティブなこの状況が、未来の英雄をつくったことは間違いありません。
驚くのは彼の学業の優秀さです。異国の地ではあっても、すぐに力を発揮し(SATの物理テストで、800点中770点)、奨学金も獲得しています。大学でエンジニアリングを専攻し、ペンシルバニア大学の博士課程で、デシジョン・サイエンス、就職後、ウォートンで、MBAを取得しました。
キャリアとしては、世界銀行、クーパーズ&ライブランド(コンサルティング会社)、NYでアトリウム・キャピタル(ベンチャーキャピタル)でバイスプレジデント。華やかな職歴です。しかし、彼は、これら魅力的なキャリアを途中で捨て、1994年、36歳の時に、バングラデシュに戻りました。それは、グラミンフォンを立ち上げるためでした。
そんなカディーア氏のステキポイントを、分析してみました。
●ステキポイント1:強い情熱があったこと
「必要は発明の母」とは、よく言ったものです。この事業成功には、多くの困難が伴いましたが、最後まであきらめず、成功させたもの、それは、彼の「情熱」です。いや、彼には、それしかなかったとも思います。母国バングラデシュの悲惨な状況を知り、その発展の力になりたい、そんな情熱があったからこそ、事業を成功させることができたのです。
彼は「情熱」以外、携帯電話事業にすぐ仕えるリソースは持っていませんでした。
まず、携帯電話事業に必須の「ITや電気通信のノウハウ」、次に投資や技術ノウハウを提供するような有望な人脈、これらはゼロでした。そして、彼自身もお金を持っていませんでした。実際、1994年から3年間、事業構築に奔走している間、ほとんどの貯金を使い果たしてしまい、週1回のバイトで生活をつなぎました。しかし、彼は、「人生で最も充実した時だった」と語っています。
また、強い情熱があったからこそ、人を動かすことができたのです。
ノルウェーのテレノール社(通信会社)が、本事業に成功の可能性なし、と判断しかけた時に、彼はこう言いました;
「崖っぷちに片手でぶら下がっている私に、あなたはもう一方の手でよじ登る機会もくれずに見殺しにするのですか?」
同社のコンサルタントは、電話口で、一分近く黙ったままだったそうです。その後、テレノール社は、最大株主となりました。
ほとんどの人が、何かを成し遂げられない時に、その理由を探そうとします。バングラデシュのひどい環境下で、誰が、成功の可能性を見出せたでしょうか? 成功するかしないか、それは、私たちのハートにかかっているように思います。つまり、情熱さえあれば、どんなひどい状況であっても、チャンスを見出し、状況を逆転することができるのです。
私は20代の頃、情熱がもてず、日々の仕事をこなすだけの時期を経験したことがあります。どんなにチャンス、人脈、知識を得ても、思うほど活かすことができませんでした。
皆さんの中で、もし、事業や仕事で行き詰っている方がいれば、原点に戻り、「自分はどんな目的を持ってこの仕事に就いたのか?」と質問してみてください。そして、当時の情熱を思い出してみてください。きっと、多くのアイデアや解決法を見出すことができると思います。
Anything is possible if you have passion.
(情熱さえあれば、何でも実現可能だ)。
私はこの言葉が大好きです。
●ステキポイント2:ステキなヒト、ユヌスをパートナーとして選べたこと
かなりステキなヒトとして、ムハマド・ユヌスも紹介したいと思います。ユヌスは、バングラデッシュの『グラミン銀行』創業者として成功した人で、2006年のノーベル平和賞を受賞し、世界で尊敬されています。グラミン銀行は、1983年に設立された民間銀行で、貧困層に向けた融資(マイクロファイナンス)を行って、多くの人の所得向上に貢献しています。
ムハマドユヌス
カディーアは、ユヌスに何度となく接触、交渉しました(ユヌスは、カディーアとの最初の出会いを覚えていませんでしたが)。長年のありとあらゆる努力の結果、1994年に、2番目の大株主となり、グラミン銀行の人的リソース、支店網も活用させてくれました。グラミンフォンと言う名前も、グラミン銀行が由来です。
彼は、アメリカの大学で経済学助教授という職を捨て、母国に戻り、同国の悲惨な状況を改善したいと、グラミン銀行立ち上げを決意しました。それは、1974年の洪水を見たときの衝撃があまりにも大きかったからです。
「私は、かつて、生徒に美しい経済理論を教えることに喜びを感じ、そうした理論がどんな社会問題も解決するはずだと考えていた」。
「それが、突然、むなしさに襲われるようになったのだ。人々が飢えて、路上や道端で死んでいるときに、この美しい理論は何の役にたつのだろうかと。私は、もう一度、学生になり、ジョブラ(同国のある村)を私の大学とすることに決めた」
それから2年間の研究を経て、グラミン銀行を立ち上げました。
同社の特徴は、従来の銀行と180度違います(下記);
-担保なし
-$150という小額でスタート。最初は、金利20%と高いが、完済すると、すぐに金利を段階的に下げていく
-借り手は、家族を含まない5人単位のグループ(互いに励まし、自立的に監視しあえるため)
-契約書は不要。しかし、「決意書」にサインさせる。
まさに、貧困者のニーズに答えるサービスですね。
ユヌス氏の高い信頼と人脈は、本プロジェクト成功へ大きく貢献しました。ジョージソロスからの融資、バングラデシュ首相との入札交渉も、ユヌスです。
以上から、いかに、ユヌスが壮大なビジョンを持って、会社を立ち上げていったかが感じられます。そして、そんなカリスマ性と影響力を持ったユヌスを説得し、パートナーに選べた事が、まさにグラミンフォン成功の要因となったのですね。
ステキな人には、ステキな人がつながる。
人脈構築やパートナー選びの重要なルールです。
●ステキポイント3:世界を視野にいれて、パートナーを求めた事
私は、何かを成し遂げるのに、日本国内だけではなく、世界にリソースを求めるという発想を持つ人に、敬意を感じています。
なぜなら、世界を見渡せば、豊富な経験やノウハウがあると知っているからで、しかし、その実現は容易ではないからです。
本プロジェクトは、外国投資家の存在がなければ、実現できませんでした。
では、誰に相談し、だれから、協力をとりつけたのでしょうか。
カディーアは、まず、アメリカにいる弟の友人に相談し、共同出資者になる合意を得ました。
大変だったのは、携帯電話先進国である北欧(ノルウェー、フィンランド、スウェーデン)との交渉でした。スウェーデンのテリア社には、最終的に断られ、フィンランドも駄目でした。しかし、粘り強く交渉した結果、ノルウェーのテレノ-ル社は、大株主となり、投資以外に、携帯事業ノウハウや優秀なコンサルタントも派遣してくれました。
ジョージ・ソロス氏については知らない人はいないと思います。
彼は、ヘッジファンド会社を率いる投機家としても有名ですが、慈善事業家の顔ももっています。
ソロスは、グラミンフォンの為に、1060万ドル(約10億円強)を低利(5%)で、融資してくれました。ソロス氏は、ハンガリー出身のユダヤ人で、少年期に、ロシアによるユダヤ人大虐殺を目の当たりにしています。カディーア氏の呼びかけは、そんな彼の心をも動かしたのでしょう。
世界銀行、アジア銀行、なんと日本の丸紅もいれて、事業開始前の資本金として、18億円程度を獲得できました。しかし、事業の成功もあって、2007年までの投資額は、総額1,000億円以上にもなります。
●ステキポイント4:非常識で、独自の発想
彼は、世界銀行で働いていたときに、貸与は、途上国の政府を永続させられても、貧しい人々の力にはなっていない事に気づきました。
特にバングラデッシュでは、汚職によって、末端まで援助が行き届かないケースが多かったのです。
そして、以下のような考えに至ります;
-「援助」は、災害復興など緊急時には必要だが、経済発展という課題解決には、百害あって一利なし。援助や雇用よりも、「自営」する道を切り開く支援が必要で、これによって、真の自立と自尊心を獲得させられる。
また、彼がアメリカで、インターネットが一時遮断され困ったときに仕事の生産性が落ちたこと、そして、子供時代に、母国で、隣村まで一日かけて弟の薬を探しに行った事を思い出しました。そして、ここで、彼の有名なフレーズを思いついたのです;
-「つながることは生産性だ (Connectivity is productivity)」。
私は、ボーダフォンで働いていたときは思いついたこともありませんでした。しかし、彼は、「携帯電話」を貧困から抜け出すためのツールととらえ、多くの、貧しい人、読み書きできない人、身体障害者など、全ての人に、「生産性」をもたらすことができると確信したのです。
日々、そこらへんにころがっている物やサービスが、見方によって、宝石に変わるのですね。自分の常識を疑うところに、ビジネスチャンスが生み出されるように思います。
また、ダッカなど首都だけで展開する通信業者が多い中、彼は、高付加価値サービスを、全国展開するという戦略で、差別化を図りました。具体的なサービスは以下の通りです;
-農村部を含む全地域へサービス提供(ユニバーサルサービス)
-SMS、ボイスメール、国際ローミング(他国にもっていっても携帯が仕えるというもの)など、先進的なサービスを展開
同社のウェブを見てみてください。携帯のPC判である「ブラックベリー」も提供しています(すごい!)。
http://www.grameenphone.com/
●その後のカディーア
彼は、大きく成功しはじめた同社を、1999年に去りました。
自分はゼロから創り上げる天才であり、決して、ビジネス管理のエキスパートではないと判断したからです。
それまでは大きく稼げなかったのですが、退職後に、グラミンフォン事業が利益を生み出したお陰で、仲間と共に所有していた株は、当初170万ドル(約1.8億円)でしたが、テレノールに3,300万ドル(約35億円弱)で売却できました。ざっと19倍です(!)。紙くずになってしまうかもしれない、そんな大きなリスクをとったからこそ、得られた正当な報酬でしょう。
その後は、世界銀行、国連、ハーバード大学など著名な機関での数々のスピーチ、CNN、フィナンシャルタイムズなどの取材など受けています。スイスの「ワールド・エコノミックフォーラム」での「明日のリーダー」にも選ばれ、世界の尊敬を得ています。
しかし、彼のバングラデシュでの仕事は、ライフワークで、まだまだ活躍しています。自分の会社として、バングラデシュの電力不足を解決するソリューションを研究しており、教育としては、MIT(マサチューセッツ工科大学)で、途上国の起業プログラムディレクターとして、多くの若者にエールを送っています。
ステキなビジネスマン、カディーア氏のストーリーを、皆さんどう感じましたか?
「良いビジネスが、良い経済をつくる(good business is good development)」。
カディーア氏のこの言葉は、ビジネスの原点を思い起こさせてくれます。
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