100年企業を次世代へ繋ぐ ~国際派の経営プロフェッショナル 上原 茂さん
多くの日本人に愛されているドリンク剤“リポビタンD”。同製品を生み出し、“ワシ”のマークでお馴染みの大正製薬は、創業から100年の歴史を誇る製薬会社である。
大正製薬を経営する上原家の長男として生まれた上原茂氏は、幼少期より、祖父や父から、事業継承の為の教育・教訓を受けてきた。そして、慶応大学在学中に、米国のダートマス大学に留学。その後、日本の企業ではなく、米国の製薬会社アボット・ラボラトリーズに就職し、MRやマーケティングなどの実務を経験し、ケロッグ経営大学院を卒業した。自らを厳しい環境に置くことで、徹底した国際感覚を身に着けた、現場志向の経営者である。
2012年6月、36歳の若さで同社の代表取締役社長に就任した上原氏。今回のインタビューでは、若いころのアメリカ留学経験、そして、36才で事業継承した思いやビジネス哲学などを、失敗談も含めて率直に語ってくれた。
米国ダートマス大学留学時代
上原氏:
「私は中学時代にカナダでホームステイをした経験もあったために、アメリカに行ってみたいという漠然とした思いがありました。ただ、アメリカで具体的に何かをするという考えはなく、意外と軽い気持ちでした。ダートマス大学を選んだのも、そこのランゲージスクールに、外国人への英語教育メソッドで有名なJ・ラシアスという先生がいたからです。
当時の私は英語がさっぱりだったので、ラシアス先生からは『まず英語をきちんと話せるようになろう。きちんとした言葉で話をしないと知的な会話ができない』と、繰り返し言われました。そして『1年間、日本語を一切話してはいけない』というルールを与えられたのです。がんばって100%英語で話していましたが、一度、別の部屋の日本人と日本語で会話したことがバレてしまって、その人は引越しさせられてしまいました(笑)。
そんな厳しい留学生活ですから、最初は本当に大変でした。英語が下手だったので、年下の学生たちに無視されたり、悔しい思いも沢山しましたね。白人社会に入っていくことの難しさを痛感しました。また、学校では、旧約聖書を読んでこい、などとんでもない宿題に四苦八苦したり。でも、このスパルタ教育的な環境のお蔭で、一年後には、何でも話せるレベルになっていました。
ただ、英語がいくらネイティブレベルに達しても、中身が日本人である以上、逆立ちしてもアメリカ人にはなれない、むしろ存在感の薄いアジア人で終わってしまうと感じました。そして、“日本人としてのアイデンティティ“を大切にして自己表現する事が大事だと気づいたのです。アメリカでは、英語力を身に着けるだけでなく、”生き方“の基本を学ぶことができましたね。」
日本人が欧米人と対等に渡り合うには「自己表現・自己主張」という壁が必ず立ちはだかる。上原氏もその壁を経験し、必死にもがいた。その結果、ネイティブ並みの高い英語力を身に着け、キャンパスでもちょっと変わったアジア人として有名になり、引っ込み思案な性格だったが、そのころにはまったく逆の性格になってしまったそうだ。
アメリカでの生活によって、自分を見つめなおし、自己改革もやってのけた上原氏。柔軟な適応力を持ち合わせた、国際派プロフェッショナルの歴史はここから始まった。
アメリカでのビジネス体験 ~ニックネームは“シギー”
上原氏はダートマス大学卒業後、日本へ帰国。そして、わずか3ヶ月で、大正製薬と親しい関係にある米国の製薬会社、アボット・ラボラトリーズに就職、再び渡米した。日本でのビジネス経験がない状態で、米国企業へ就職し、成果を出すのは容易ではない。当時の体験談やエピソードなどをお伺いした。
上原氏:
「まずシカゴで2カ月ほど研修を受けました。アメリカで製薬会社の営業といえば、(給与が高いので)さまざまな業界の優秀な営業のプロが転職してきます。私の周りは、経験が豊富でビジネススキルの高い人ばかりで、本当に大変なトレーニングの日々でした。
また、薬学の基本である、“生理、病理、薬理”などを、英語で学び、理解する必要がありました。テストに落ちたら、証明書がもらえないので営業に出られない、そうするとクビになります。ですので、睡眠時間を削って勉強をしました。テストの前日とか、部屋にいると眠くなるので、ロビーで勉強、立ったまま寝てしまったこともあります(笑)。
アメリカでは、“シギー”って呼ばれてました。友人たちが心配して、「シギー、おまえ遅刻するぞ」って起こしてくれて、そのまま教科書持って授業に出たりなんてことも度々でした。
無事、テストに合格した後は、サンディエゴに移動し、1年半ほど営業を経験しました。自分で車を運転して、1軒1軒、地域の病院を訪問。ドクターへ薬の安全性の説明なんかもやりました。横についたトレーナーに、プレゼンや英語力をダメ出しされたこともありましたね。」
ケロッグ卒の女性上司から、『クールな人の活かし方』を学ぶ
上原氏:
「そのあと異動となり、シカゴオフィスで、財務コントロールの仕事を命じられた時期がありました。この時の女性上司がケロッグ出身で、通常の業務報告に行っても、ろくろく相手にもしてくれない人でした。時には、ドアを勢いよく閉められたこともあり、よほど嫌われているのだと人事に相談に行こうと思ったくらいです(笑)。
ある日、キャンペーン予算を返上しなければならない問題が持ち上がりました。そこで、『返せる予算はどれくらいあるのか』『どうすればダメージが最小限に抑えられるのか』といった事を提案するように言われて、さまざまな状況を想定して、分析し、自分なりに提案したんですね。
すると、意外にもその上司は私の提案を気に入ってくれて、ひとこと、『good job!』と言ってくれました。そして、帰り際には、『You don’t have to do it anymore(明日からはその仕事をしなくていいから)』と告げられました。 びっくりして、その理由を聞きました。すると、『Because you’ve done it(だって、あなたはもうその仕事ができるでしょ。』と…!
つまり、できる仕事をいつまでもやらせるのではなく、できるようになったら、その仕事から外し、次のチャンスを与えていく。いやあ、世の中には、想像を超えた大局観を持っている人がいるものだな、と感服しました。いまでもこの上司には感謝していますね。そして、この経験は、大正製薬での人事戦略において非常に役立っています。」
人事と経営戦略の考え方
上原氏は、この人事戦略を経営に生かし、人と人をマッチングし、チームで互いを補いながら相乗効果を発揮させるビジネスプランを常に描いているそうだ。あるポジションで仕事が十分こなせる人材は、さらにステップアップさせ、全体のレベルを上げていく。一方、ある仕事で期待外れの結果だったからといって、その人の能力がないと判断せず、能力が発揮できる仕事を与える会社を目指す。深く社員を理解し、高いレベルのリーダーシップを必要とする人事戦略だ。
さらに、いま、上原氏が経営において、心掛けていることを尋ねてみた。
上原氏:
「ダートマス時代からケロッグまで、約8年間アメリカで学びました。今の自分の経営手法の核になっているのは、『論理性』と『アカウンタビリティ(説明力)』の2つです。
大正製薬グループには、現在グローバルで約6400人が働いていますが、それだけ多くの人が同じ方向に向かって進んでいくためには、トップが高い論理性、合理性をもって、社員にきちんと説明し、理解してもらう力が必要なのです。アメリカでは、雑務をする人にも、しっかりと説明をする必要があります。そうすることで、一人ひとりの能力も活かせるし、その人自身が成長する可能性も高まると考えます。」
社員には、上から命じられたからではなく、自発的に行動してもらいたい、そのために、上原氏は、常に社員に語りかけているのだろう。
上原氏:
「また、当社の社是に『正直、勤勉、熱心』という言葉があるのですが、先代がいうには、『正直』で『勤勉』で『熱心』というこの“順番”が大事らしいです。とくに正直というのは大事で、これらをもった人しか成功しない、ということを常に社員に語っています。」
上原氏がいうこの3つの言葉はすべて人間性を示しているのが興味深い。IT技術が発達し、世界がつながり、大競争時代となった現代。ビジネス上の成功は、語学力や会計、MBAも含めて、いわゆる“スキル”で語られることが多いからだ。ところが大正製薬の社是からは、事業の成否を決める重要なポイントは、スキルよりも前に、“人のあり方”である、ということがわかる。『正直、勤勉、熱心』であるからこそ、人の信頼を得て、人を動かし、チームとして協力して目標を達成することができるのだろう。
現代人が見失いつつあるこの成功のゴールデン・ルールに、上原氏は早くから着目し、同社の経営に活かしている。
上原家 4代目として、36才で社長に
アメリカでビジネスの現場経験を積み、36歳という若さで大正製薬社長に就任された上原氏。戸惑いや反発心はなかったのだろうか。
上原氏:
「私は幼い頃から曽祖父である上原正吉(上原家初代社長)と一緒に暮らし、『4代目なのだから』と繰り返し言われ、経営者として実になることを率先して教わりながら、育ちました。ですので、特に、若くして社長になること自体にとまどいや否定的な感情はありませんでしたね。社長に就任したからといって偉くなったとか、贅沢したいという気持ちもなく、自然と自分の中で全てのものが準備されて、なるべくしてなったような感じです。」
上原正吉から4世代にわたって受け継がれた大正製薬の経営を、上原氏は先代から学び、“経営思考”というものを、自然と身につけていった。それは人の上に立つものとしての「心のあり方」も含まれている。世間的には裕福であっただろう上原家だが、意外と質素・倹約を心掛ける教育を受けたという。「経営者というものは、贅沢はしてはいけない」と日ごろから言われ、観光といった種類の海外旅行は、ハワイでさえ連れて行ってもらったことはなかったそうだ。
100年企業を継承 ~変えるべきものは変えて、残すべきものを残す
100年もの歴史がある企業を継承して、着手した事や率直な思いを伺ってみた。
上原氏:
「これまで先々代、先代の社長がつくり上げてきた営業体制、顧客マネジメントなどの構造はこの50~60年間は基本的に大きく変えていませんでした。その多くは、上原正吉が創ったものです。しかし、中には、当時と今では環境が変わって、徐々に歪みとなっているものがあるのも確かです。 そこで私は社長に就任したとき、『変えるべきものは変えて、残すべきものは残す』と社員に明言しました。
例えば、かつて薬の販売店は小売が乱立していて、我々はそれに対応した販売形態をとっていたわけですが、今は合従連衡で寡占化が進んでいます。こういったビジネス構造の変化に対応すべく、ストラクチャーを変えていかなければならないのですが、十分対応出来ていなかった。
そこで私は大きな組織改革を実行しました。マーケティング本部を新設し、会社の決断が必要な部分と、営業の裁量の範囲をきちんと分割したのです。結果、営業のニーズとマッチして、より現場に沿った予算編成が可能になりました。このような組織改変は、企業としては当たり前のことです。しかし、この当たり前のことができなくなってしまうのが、大企業病なのだと思います。」
大企業病は、多くの日本の企業が抱える病理のひとつだ。特に大正製薬のように長い歴史があり、製薬といったコンプライアンスが厳しい業界ともなれば、変化を嫌う保守派も少なくはないだろう。その中で、若き経営者が変革を実現するというのは容易ではないと考える。
そんな上原氏の改革の成功の鍵とは何なのか。
上原氏:
「私は、大正製薬の“外”の世界を経験しているからこそ出来るのだと思います。現在、ビジネスは安定していますが、それにあぐらをかいてはいけない。上原正吉、上原昭二、上原明といった先代が作ったものでも、壊さなければいけないものはきちんと壊す。 これが4代目である私の使命だと思っています。」
先代の功績とともに責任もまた次世代へ受け継がれていく。同族経営の重みを感じさせる言葉だ。
若い経営者らしく、オープンで明るく、自分の意見をしっかり持つ上原氏。今後、大正製薬からどんな商品が生まれ、さらなるグローバル企業へと発展していくのか、楽しみでならない。
取材・文責:ケイティ堀内
*この記事は、ケロッグ・クラブ・オブ・ジャパン(ケロッグ経営大学院 日本同窓会)が運営するサイト、ケロッグ・ビジネススタイル・ジャパン向けに執筆したものです。