逆境のリーダーシップ (2) 米トヨタ最大の危機、リコール問題からのV字回復 稲葉 良睍さん
アメリカでのトヨタのリコール問題は、公聴会への対応が一定の評価を得たものの、すぐにすっきり解決したわけではない。米運輸省が「電子制御システムの不具合が原因でなかった」との最終調査報告書を出すまで、一年間、もやもやした状況が続いた。その中で、米トヨタ社長、稲葉良睍(いなば・よしみ)氏は、社内の体制をどう変え、社員やディーラーをどう導いていったのか? そこにケロッグ経営大学院で学んだコラボレーション型リーダーシップの真髄が見える。
(前半はこちら)
現地の肌感覚を活かした新体制へ
リコール問題に際して、稲葉氏が一番の問題と捉えたのは、アメリカ人社員の「当事者意識の欠如」だった。「決定権を握っているのは日本側だから、最終責任は日本にある」といった、どこか他人事とするような風潮があった。トヨタ製品は世界中へ流通していたが、権限の委譲など、経営のグローバル化は十分ではなかったのだ。
「アメリカ人がアメリカ人のために、トヨタの大切な企業文化を守りながら、マネージしてほしい。1999年から2003年までの米国トヨタ社長時代にもその方向に進めていたのですが、十分ではありませんでした。これはトヨタのグローバリゼーションの重要なプロセスのひとつだったと思います」
稲葉氏は公聴会後、まず5人のアメリカ人を選び、クロス・ファンクショナル・チーム「五人組(英名:Gang Five)」を作った。「僕はアメリカの法律や、社会的な知識が充分ではない。だから、どんな問題が起こったときも、君たちがまず情報を得て、どうすべきか、僕に提案してくれ。あなた達が決めてくれたことをできるだけ尊重する」と伝えた。
「僕は17年アメリカにいたんですけれど、トランプが大統領になった時、やっぱりアメリカをわかっていなかったなあと思いました。アメリカに関する私の判断力や語学力などは、アメリカ人に比べると7割がいいところです。3割は絶対に欠けている。わかった気になるのが一番怖い」
「マネージメントは、現地の肌感覚を持ち、歴史や商習慣を知るアメリカ人が、トヨタのカルチャーを持ちつつやるのが一番適切です。信頼して自由にやらせることができたとき、初めてグローバル化ができる」
ディーラーとの強力な連携で、V字回復へ
「公聴会後は強いインセンティブで、販売台数を増やそうと努めました。車が売れれば、『これだけお客さんはついてきてくれていますよ』というメッセージが、社員にもディーラーにも伝わります。『トヨタはまだ健在なんだ』という印象を植え付けることができます」
さらに、稲葉氏はディーラーのお客様対応を全面的にバックアップした。
「『お客様から文句を言われたら、必ず何かしてあげてください。経費が必要ならば、トヨタはお金を出します。理由は問いません。何に使っても結構です』と伝えました」
たとえばディーラーがお客様へのサポートに5,000ドルかけた場合、トヨタはディーラーに同額、もしくはそれ以上を払った。トヨタはディーラーを全面的にバックアップした。そんなことをするメーカーは他になかった。逆境の中、ディーラーや顧客のトヨタへの信頼感は増し、2012年に北米での生産台数過去最高を記録するというV字回復が実現した。
逆境時のリーダーシップとは?
稲葉氏に、逆境、あるいは危機対応時のリーダーシップというのは、一体どんなものか尋ねてみた。
「逆境時のリーダーシップというのは、特にないですね。危機が起こってからやるのではダメです。やはり日頃から、きちんとした経営方針、経営姿勢のもと、ぶれなく続けていくことで、リーダーへの信頼感が作られます。その信頼感があるから、皆が共に走ってくれるんです。 ディーラーも含めてね」
トヨタには全世界のトヨタで共有すべき価値観や手法を示した「トヨタウェイ」がある。
「トヨタウェイに二つの柱があります。ひとつはContinuous Improvement(絶え間ない改善)で、もうひとつがRespect for People(人間尊重)です。この発想の中に、いかに我々は顧客やディーラー、社員を人として尊敬し、大切に扱ってきているのかが示されています」
口で言うだけなら、どこのメーカーも同じような事を言っている。しかし、トヨタには、創業以来、何十年間もブレずにやってきた積み重ねがある。
「顔が見える日本人でありたいと思っています。人々と接触を多くし、自分はどういう人間か、そしてトヨタはどういうことを考えているか、直接、話していく、そういう存在でありたいと努めてきました」
会議をひとつするよりも、ディーラーとゴルフに行くなど、個人的に人を理解する機会を大切にしてきた稲葉氏。親しみを込めて“Yoshi”と呼ばれる彼が、2003年にアメリカを離れ、日本に戻ったとき、多くのディーラーから「稲葉氏を戻してくれ」というラブ・コールが届いたという。
レクサス成功の立役者 ― 功を奏したマーケティング戦略
稲葉氏と言えば、アメリカのレクサス成功の立役者として知られている。稲葉氏が1993年にアメリカに着任して最初の仕事が、レクサスの新たなプロダクトプランニングのプロジェクトだった。
稲葉氏が狙ったのは、アメリカ市場の穴。 市場のニーズはラグジュアリーなSUV の方向であるにも関わらず、ラグジュアリーカーメーカーはまだ対応していなかった。そこに商機を見出した彼のチームは、圧倒的に品質の良い SUVを作りたいと、日本の本部に要望を出した。しかし、日本からの回答は「そんなものは、ラグジュアリーではない」という批判的なものだったという。
「僕たちは、『それでいいんです!』と回答しました。なぜなら、狙ったのは“ラグジュアリーの大衆化”であり、従来のブティック型のハイソサエティなラグジュアリーではないからです」
なんとか日本本社を説得し、商品化にこぎつけた稲葉氏は、レクサスのマーケティングからディーラー網の構築までを刷新した。「ディーラーでのお客様対応を、これまでとは違う、高い次元に持って行く活動もしました」
こうして、「高級セダンの乗り心地と快適性を兼ね備えたSUV」として、1998年に、初代のレクサスRXが販売された。新市場を生み出し、伝説的な成功をトヨタにもたらした。チーム稲葉が、アメリカというマーケットを研究し尽くした成果だ。
さらに稲葉氏は、トヨタが出遅れたと言われた中国でも、社長就任から2年で、中国市場で10位圏外だったトヨタを5位へと跳躍させた。
グローバル・キャリアのきっかけとなったケロッグ
公聴会では流ちょうな英語で質問に答えた稲葉氏だが、1974年にトヨタからケロッグ経営大学院に留学した当時は、決して英語が得意ではなかった。2ページのペーパーを書くだけで25時間かかり、徹夜を余儀なくされたこともあったという。そんな彼は、ケロッグ経営大学院でのグループスタディなどを通じて、交友関係を広げていった。
「最初に親しくなるのは、日本人同士。次にメキシコ人とかフランス人などアメリカへの留学生。その次はアメリカ人の中でもユダヤ系、東ヨーロッパ系。最後がWASPです。人種に加えて、宗教も多様で、『価値観も、考え方もさまざまな人がアメリカ社会を構成しているんだな』と実感しましたね」
人の懐に飛び込むのが巧みな稲葉氏は、留学中、1年半をかけてWASPにまでたどり着いた。
「シカゴのレイクフォレストという白人しかいない高級住宅街に招待され、家族を紹介してくれました。さらには、なんと、社交場であるカントリークラブにも連れて行ってもらいました」
ケロッグ経営大学院で、稲葉氏はアメリカを中心とした“人”との関係構築、チームワーク、リーダーシップ、そして、強力なマーケティングを学んだ。そして卒業後は、中近東、ヨーロッパ、中国、そしてアメリカと、国際的に活躍し、グローバルな仕事を天職と感じるようになった。
リコール問題の対応に追われていた期間、特に公聴会での正直な気持ちを伺った。
「公聴会開催まではナーバスな時もありました。でも、議場に入って皆さんの顔を見たら、向こうもみんな人間なんだと、ほっと落ち着きました。自分たちにはやましいことはない。平時から正しいことをやってきていれば、怖いことはありません」
危機が起きたとき、誰かのせいにすることで逃れようとするリーダーもいる中、稲葉氏は、誰のせいにすることもなく、トヨタ最大の危機を見事に乗り切り、V字回復を成し遂げ、「新生トヨタ」へ大きく貢献した。
成功のカギは、平時から人を大切にしたチーム力、客観的な状況の分析力、アメリカ現地の肌感覚を活かした販売やマーケティング力にある。今回の取材を通じ、この成功のセオリーを実行できた鍵は、稲葉氏の楽観的でオープン、そして「国を問わず」、人を大切にする人柄にあると感じた。
稲葉氏は、2016年8月に48年勤め上げたトヨタを引退。同年の秋、日本政府より、公共事業の利益に貢献した人をたたえる藍綬褒章(らんじゅ・ほうしょう)を受章。現在もアメリカ、イスラエル、その他国際的なパートナーや企業の要請を受けて、世界を駆け巡っている。
ケロッグの為に、米トヨタ最大の危機における舞台裏を包み隠さず語り、リーダーシップの真髄を教えてくださった稲葉氏に感謝の意と敬意を表したい。
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取材・文責:ケイティ堀内
*この記事は、ケロッグ・クラブ・オブ・ジャパン(ケロッグ経営大学院 日本同窓会)が運営するサイト、ケロッグ・ビジネススタイル・ジャパン向けに執筆したものです。