物から心の豊かさへ。生活レベル向上のため理念を実践した経営者 :サントリー元会長・佐治敬三氏(1)/全3回
「生活を豊かにし、社会から尊重される財を生産する」
前回の内容:社会へ恩返しする企業の礎を築いた サントリー創業者・鳥井信治郎氏
鳥井信治郎氏の次男で、サントリーの元会長、佐治敬三氏(以下、佐治氏)。「やってみなはれ」の遺伝子を父より受け継ぎ、「利益三分主義」の理念の下、事業と文化の発展に大きく貢献した、昭和を代表する関西の名経営者の一人だ。食品化学研究所(現・サントリー生命科学財団)設立など、基礎化学研究を熱心にサポートしたことでも知られる。
「陰徳」を重んじた父に比べ、佐治氏は「陽徳もええやないか」と、自身の考えや成果を積極的に発信することを奨励した。(シドニーのオペラハウスの銘板に"We are proud"という文字と共に、寄付者の名前が大々的に紹介されている光景を見たことにも触発された)
その考えは「はじめに志ありき」という言葉にも表れており、現代のリーダーシップにも通じる考えだ。今でいう「ビジョナリー・カンパニー」といったところだろうか。
鳥井氏は、東洋的な思想(他人の不幸に思いを寄せる「惻隠の情」など)を重んじたが、佐治氏は、そのDNAを受け継ぎながら、西洋的な思想を経営に取り入れた。
同社は、戦後最初の新聞で広告を出した「トリス」をはじめ、「オールド」などの洋酒事業が好調だったにも関わらず、佐治氏のリーダーシップの下、ビール事業へ参入。「洋酒の成功に甘んじることなく、緊張感を持たせる思いもあったのだろう」と、あるサントリーOBは語る。結果的に、この英断は、社員の士気高揚、経営風土強化に大きく寄与することになった。
ビール販売に合わせて、社名を「寿屋」から「サントリー」に変更。グローバル化が押し寄せる中、第二創業の想いを込めた。
佐治氏は、創業者である父の志を継ぎ、「利益三分主義」の精神を文化領域で実践した。「物質的に豊かになった日本に、心の豊かさをもたらすには、芸術文化と学術振興の役割が重要になってくる」との考えから、昭和55年(1980年)には、「生活文化企業」というビジョンを掲げた。
「企業の存立は、社会に提供する財が社会から尊重されることによって保証される。社会がその財を生活をより豊かにすることができるとした時、その財を生活文化財、その財を生産する企業を生活文化企業と私は呼びたいのである。」と佐治氏は語っている。
このビジョンにより、洋酒・ビール・清涼飲料・外食・医薬・スポーツ・出版など、様々な事業と利益三分主義のもとに進めてきた社会貢献活動が「生活をより豊かに・楽しく」という方向でベクトルがそろった。現在、医薬、スポーツ、出版事業はなくなったが、洋酒・ビール・清涼飲料に加えて、外食、健康食品、花事業は、脈々と続いている。
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