リーダーのストーリー
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事業と共に日本文化発展にも貢献した経営者 : サントリー元会長・佐治敬三氏(2)/ 全3回

事業と共に日本文化発展にも貢献した経営者 : サントリー元会長・佐治敬三氏(2)/ 全3回

「周年記念事業として美術・音楽など日本文化の発展に貢献」

過去の内容:
Part1: 社会へ恩返しする企業の礎を築いた サントリー創業者・鳥井信治郎氏
Part 2:事業家として、文化人として : サントリー元会長・佐治敬三氏(1)


サントリーが「生活文化企業」を掲げた前年の昭和54年(1979年)は、日本の高度成長期が終焉を迎え、当時の大平内閣は「地方の時代、文化の時代」というスローガンを掲げていた。(40年以上経つ今も、国は依然として「地方創生」など同じようなスローガンを掲げている・・・。)

経済の大きな転換期となったこの年、佐治敬三氏を初代理事長とし、創業80周年記念事業として「サントリー文化財団」が設立された。

サントリー文化財団設立記者会見(写真提供:サントリーホールディングス株式会社)


「社会と文化に関する国際的、学際的研究の支援と人材の育成を行い、日本と世界の学術・文化の発展に貢献することをめざす」と同時に、「国際化が日本の課題となる中、人文社会科学分野における日本の情報発信力の向上が必要とされたこと」が、財団設立のきっかけだった。

サントリーは、それまでも昭和36年(1961年)に60周年記念事業として「サントリー美術館」を設立するなど、文化活動には積極的だった。そのきっかけは、佐治氏が欧州で訪問した美術館に感銘を受け、日本人も先祖から受け継いだ芸術を守り、次の世代に伝える必要があると考えたことだった。

当時のサントリー美術館(写真提供:サントリーホールディングス株式会社)


欧米の「美術品は見て楽しむもの」とする文化に対し、日本は工芸美術であり「普段の生活で使うもの」として美術品がつくられている。こうした日本の伝統美術のすばらしさを多くの人に身をもって感じてもらいたいとの思いから「生活の中の美」というテーマでオープンしたのだった。


また、サントリーと言えば、音楽への取り組みも忘れてはならない。昭和44年(1969年)に70周年事業として「鳥井音楽財団(現サントリー芸術財団)」、昭和61年(1986年)に完成した「サントリーホール」は、コンサート専用ホールとして「世界一美しい響き」をめざし、音に徹底的にこだわった。

 

サントリーホール全景(写真提供:サントリーホールディングス株式会社)


建設にあたって、ホール形式は、カラヤンなどの助言に対し「ほな、そうしましょ」の一言で決まった。後にカラヤンから「音の宝石箱」と言わしめた。

昭和58年(1983年)からは大阪城ホールでの「一万人の第九コンサート」に協力し、自らもバリトン歌手として参加。このイベントは現在も毎年開催されている。

次へ:『人間らしく生きる』ために企業ができること」

文:堀内秀隆
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