留学経験ゼロだった自分が グローバルリーダーへ挑戦した理由(1):小田原 浩さん
MBAを取得するだけなら、日本で働きながら取ることも可能だ。そんな中、あえて海外のビジネススクールに行く意味はあるのだろうか? 数多くのビジネススクールがある中で、特にノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院(ケロッグ・スクール・オブ・マネジメント)を選ぶ理由は何なのだろうか?
「ケロッグに行っていなかったら、マッキンゼーでここまではやれていなかったかもしれません」
KCJ (ケロッグ・クラブ・オブ・ ジャパン)新会長、小田原さんは、こう語る。
小田原さんは、東大を卒業後、新卒でマッキンゼーへ入社。2011年にケロッグへ留学し、再び戻ったマッキンゼーで、若くしてパートナーになった。爽やかな面立ちで、人への配慮にも事欠かない彼を、ケロッグ時代の友人はこう語る
「とにかく頭が切れる。ためらわず論破し、最短距離の解答を求める」
「イシューを整理し、物事を構造化して、説明するスキルには舌を巻く」
「日本人の中で最年少にも関わらず、全く物おじをしない」
「物腰が柔らく、話し上手で、聞き上手」
……こう聞くと、完全無欠のプロフェショナルにしか見えない…。
しかしながら、今回のインタビューで、苦手な分野や苦労の一面も知ることができた。
ケロッグのMBAで人生を大きく変えることができたという小田原さんが、今回、自身の体験を振り返りながら、ビジネススクールに行く意味、ケロッグの魅力、そして、グローバルな環境下でのチーム力やリーダーのあり方など、率直に語ってくれた。
ビジネススクールはもう時代遅れ?
「ビジネススクールへの留学はもう時代遅れという声もあります。でも、いろいろな人種を交えて物事を進めていくことができないと、すぐにビジネスの限界が来ます。グローバルな環境の中で、日本を強くしたいとか、日本の存在感を高めながら世界で活躍したいと思うなら、海外のビジネススクールに行く価値はあると思います」
小田原さんは日本生まれの日本育ち。グローバルに仕事をしていくには、グローバルなリーダーシップを鍛える必要があると思っていた。
マッキンゼーで、仕事を通じて学べることは多くあった。だが、若いうちはどうしてもプロジェクト単位では局所的に見ることになる。ビジネススクールで、経営全体についてきちんと学ぶことには、仕事を通じての学びにはないものがある。
「ビジネススクールでは、他の国のグローバルリーダーのタマゴたちと切磋琢磨して、よく学び、よく遊び、よく議論して、自分を高めたい、と思いました」
“ドメドメ”で、安定志向だった自分が、マッキンゼーを選んだ理由
小田原さんも最初からグローバル志向だったわけではない。経済学部の学生として就職活動を開始した当初は、安定志向で、海外には目を向けていなかった。
「自分は“ドメドメ”でしたね。つまり、日本で育って、それまで留学経験もなかったし、英会話スクールに行ったことはあっても、英語はたいして話せませんでした」
東大を卒業するころ、就職先として目指していたのは、日系の金融機関銀行だった。単純に「経済学部だから経済関連」といった安直な理由だった。
「ふつうに会社の階段を昇って、それなりに偉くなって、それなりに世の中の役にたてばいいなあ、と思ってました」
だが、ある外資系証券会社の就職説明会で、彼の心に大きな変化が起きた。
「日本語がペラペラな外国人が言ったんですよ。『皆さんみたいな能力ある人たちは、今後グローバルに活躍できなければいけない』と。そのとき、妙に『グローバル』という言葉が刺さったんですよね」
日本のために働く……と考えた時に、必ずしも日本国内ではなく、土俵は世界で構わないのではないか、他国で日本の企業の存在感を上げるとか、あるいは外国人と上手く協力して日本の経済を良くしていくなど、グローバルに活動した方が、日本社会により役立つのではないかと思うようになった。
そして、グローバルな仕事を求めて、マッキンゼーに入社を決めた。
新入社員時代―ドイツでぶつかった文化の壁
小田原さんは、マッキンゼーに入社してまもない頃、上司に「将来、海外で仕事がしたいか?」 と問われ、「ぜひお願いします」と即答した。数年後かな、と思っていたら、その翌月には「来月からドイツに行ってこい」と言われて驚く。
現地での最初のプロジェクトでは、ドイツ人7~8人のなかで、日本人は小田原さん一人だった。語学もさほど堪能ではなく、辛酸をなめる経験をした。
「ドイツに行ってみて、本当に苦労しましたよ。最初の数ヶ月は、まるで成果が出せなくて いつ日本に送り返されるかと思う状況でした」
実は、語学以上に障壁だったのが、国による文化やコミュニケーションスタイルの違いだった。
小田原さんは、英語を”ザ・日本人”の感覚で話していたのだ。例えば、自信があるときでも、必ず「can be」、「could be」、「may be」をつけたり、「I understand, but…」といった断定を避ける表現をしていた。
イラついたドイツ人同僚たちに、小田原さんは、たびたび叱られた。
「『多分…』って言葉は要らない。100%確信があることだけを言え」
「賛成なのか、反対なのか、はっきりしてくれ」
だが小田原さんは必死で英語を勉強して、会社の同僚にもサポートしてもらって、ドイツ文化にも慣れていった。
小田原さんは振り返ってこう言う。
「気を付けないと、日本人の柔らかい物腰はなめられてしまう。喧嘩腰くらいに発言して、ちょうどいいんですよね」
小田原さんを前にしてドイツ語で話しあう同僚たちにも「英語で話してくれ」としっかり交渉し、自身の考えを伝えられるようになった。ドイツ赴任から半年経った頃からペースに乗って、後半は成果を出せた。
「海外で外国人プロフェッショナルと仕事をする力はなんとかつきました。しかし、グローバル環境下でリーダーシップをとっていくには、今のままでは難しい」
これがMBAを考え始めたきっかけだ。
ケロッグで得た「グローバル・コミュニケーション力」、そして「生涯の伴侶」
小田原さんは、ケロッグでは、苦手だったグローバルな人付き合いを最重視し、授業やプロジェクトだけでなく、ありとあらゆるイベントでリーダーシップの経験を重ねた。
「ケロッグで得られた一番の成果は、外国人環境にも全く怖気づかなくなったことでしょうね。むしろそれを楽しめるようになりました」
ケロッグで培った経験は、小田原さんの海外における活躍の場を確実に広げている。マッキンゼーのパートナーとして、日々、グローバルの案件に取り組むのは勿論のこと、最近では、海外クライアント企業のマネジメントの相談に乗る機会も増えている。先日はインドのラウンドテーブルで講演もした。
ケロッグにいたからこそ、グローバルで働くことが当たり前になった自分がいる、と小田原さんは確信している。
「グローバルでチームを組む時は、コミュニケーションの量も、日本人同士よりも遥かに多く必要です。自分の常識が相手の常識とは限らないですし、共通の認識がないことが多いので……」
しつこいくらい一緒に会ったり、食事に行ったり、コミュニケーションを密に取る。そして、英語のコミュニケーションでは、物事をはっきり言うことを心掛けている。
小田原さんはケロッグで外国人とのコミュニケーション力を高め、たくさんの仲間を作った。それだけでなく、生涯の伴侶であるタイ人の奥様、RATAさんと出会うこともできた。ケロッグの入学直前に、既にアメリカに来ていた同級生たちとの飲み会で初めて会い、クラスも一緒だったことから、気の合った二人は、ほどなく交際を始めた。
ケロッグ卒業後、5年の間、タイと東京で遠距離恋愛をした。そして2016年、同僚やケロッグの仲間に祝福されながら、タイで結婚式を挙げた。2019年秋、まもなくベビーも誕生予定だ。
次回は数あるビジネススクールの中から、ケロッグならではの独特の学び方、実は“人見知り”、という小田原さん独特の関係構築法や、グローバルなチームワークのエピソードについて紹介する。
取材・文責:ケイティ堀内
*この記事は、ケロッグ・クラブ・オブ・ジャパン(ケロッグ経営大学院 日本同窓会)が運営するサイト、ケロッグ・ビジネススタイル・ジャパン向けに執筆したものです。