逆境のリーダーシップ (1) 米トヨタ最大の危機、リコール問題からのV字回復 稲葉 良睍さん
2018年は、日本ブランドへの信頼を揺るがすような、大企業や大学による不祥事のニュースが続いた年だった。大手メーカーによる検査データ改ざん問題や不正検査のほか、有名大学のアメフト部の悪質タックル事件はまだ記憶に新しい。確固としたブランド構築をしていた組織ほど、信頼へのインパクトは大きい。そんな中、企業の危機管理に大きな注目が集まっている。危機(クライシス)におけるリーダーシップとは、どうあるべきなのか?
2009年8月、世界で最も有名な日本企業トヨタの主要市場、北米市場で、大量リコール問題が起こった。このとき米トヨタ最大の危機に立ち向かったのが稲葉良睍(いなば・よしみ)氏だった。稲葉氏はアメリカ議会による公聴会に出席。危機を見事に乗り切り、2012年には北米での生産台数過去最高を記録するというV字回復を成し遂げた。
普段はあまりメディアに出ない稲葉氏だが、引退した今、母校であるケロッグ、そして未来のリーダー育成のために、リコール問題の舞台裏、そしてリーダーとしての心構えについて語ってくださった。
アメリカ人社員のSOSで知った、米トヨタ最大の危機
稲葉氏が米トヨタ社長に二度目の就任をしたのは、2009年7月。一旦、トヨタの役員を退任していたが、同年に社長就任した豊田章男氏から抜擢され、北米担当として復帰した。
2008年のリーマンショックで陰りが出てきていた北米市場の立て直しを期待されてのことだった。
しかし、就任するやいなや、想定外の大問題が彼を迎えた。同年8月、サンディエゴでディーラーが代車として提供したレクサスES350が、高速走行中に制御不能となり、土手に激突して炎上。乗っていた非番の交通警察官一家4人全員が亡くなった。衝突寸前の救助を求める切迫したやり取りの音声が報道され、マスコミ報道が徐々に過熱化していく一方、社内からの稲葉社長への問題伝達は遅れていた。
「私がリコール問題を知ったのは9月。それも、気心が通じた知り合いからの個人的な電話によってでした」
当時、アメリカでリコールなど渉外業務を担当していたのは、稲葉氏が社長をしていたトヨタ・モーター・ノース・アメリカ株式会社(TMA)であった。通常は担当者が直接社長に連絡することはないが、よほど切羽詰まっていたのであろう。電話をかけてきたTMAの社員は、個人的に知っていた稲葉氏にSOSを求めた。その頃、リコールの決定権は日本が握っており、彼が働きかけても、日本側は動こうとしなかった。
「大変なことになっている! 稲葉さん、助けて!」
日米の感覚のずれが招いた失敗
稲葉氏は電話を受けて、すぐに真相の解明に動き出した。死亡事故の原因は、代車を出したディーラーが間違って別の車種のフロアマットを敷いたために、マットにアクセルペダルが引っかかり、全開のまま戻らなくなったことにあった。
「トヨタの純正品マットを使っている限り、そういうことは起こりません。しかし、社外品を買い、しかも2枚も3枚もマットを重ねる顧客もいる。その場合、その厚さで、アクセルの踏み込み時に、アクセルペダルがマットに引っかかってしまいます」
品質や安全問題に関する責任の捉え方に、日米の感覚の違いがあったと稲葉氏は語る。
「日本の技術者は『車は悪くない。お客さんの使い方の問題ではないか。自分たちの技術的問題ではない』と考えます。しかし、これが一番の問題だったんですよ。
アメリカでは、お客さんが間違ったマットを敷こうが、何しようが、事故が起これば、メーカーの責任です。たとえばファーストフード店の熱いコーヒーで火傷した顧客に、賠償金を支払ったという判例もあります」
リコール対応への遅れ
「アメリカでは、メーカーが『欠陥がある』と知ってから5日以内にNHTSA(National Highway Traffic Safety Administration。国家道路交通安全局)に届けを出して、リコールをすぐ実施しなければいけません。
一方、日本では、対応するための部品が揃ったタイミングで、国土交通省にリコールを届け出ます。
リコールに関する法律の違いに対するSensitivity(感受性)が欠けていた日本側は『部品が揃わない内にリコールしても……』などと考えていて、対応が遅れました」
リコールの遅れはあらぬ疑惑を招いた。トヨタ車の電子スロットルシステムに何か問題があったのかも知れないという憶測が広がっていった。10月、11月になると、さらに、「何か本当に大きな問題があって、それを隠しているのではないか」と新聞で報道された。事態は深刻さを増し、それがアメリカ議会による公聴会に呼ばれるという事態を招いた。
GMやクライスラーの破綻 ― アメリカの社会的背景
公聴会という政治的な場にまで発展した理由はもうひとつある。それは当時のアメリカの社会的な背景だ。2008年のリーマンショックに端を発し、リコール問題が起きた2009年の4月にはクライスラーが、6月にはゼネラル・モーターズ(以下、GM)が経営破綻し、アメリカ政府は巨額の金融支援を行っていた。一方、トヨタは、GMを抜き、年間販売台数で、初めて世界一となった。
「政府としては早くGM やクライスラーに立ち直ってもらいたいわけです。だからリコール問題を大きくしたというわけではないですが、そういう国の基幹産業が窮地に陥っている状況は、外者にとって、決して良い環境ではなかったのです」
大雪がもたらした “救いの手”、公聴会は豊田社長と共に
トヨタのリコール問題と言えば、公聴会での豊田章男社長の姿のイメージが一般には強いだろう。だが最初に出席を要請されたのは、豊田社長ではなく、稲葉氏だった。豊田社長の公聴会への出席の陰には、政治的な駆け引きと、自然がもたらした偶発的できごとがあった。
トヨタは2つの委員会による公聴会に呼ばれていた。一つ目は、稲葉氏一人が出席する2月10日開催の公聴会、そして、二つ目は、TMSのアメリカ人社長、ジム・レンツ氏が出席する2月17日開催の公聴会だった。
ところが、公聴会前日の2月9日夕方、突然大雪が降った。その結果、公聴会は、2週間延期され、ジム・レンツが出席する公聴会が先に行われた。2つの委員会同志の競争があり、稲葉氏が出席する公聴会を行う委員会は、出席者の重みで勝とうと、豊田社長にも招待状を出した。
「豊田社長の出席で、私の負担は半分以下になりました。注目の多くが豊田社長に集まりましたからね。もし予定通り、3時間以上もの時間、一人でやっていたらどうなっていたか、今から考えると空恐ろしいですね(苦笑)。
僕の英語のスピーチがYouTube に出ていて、英語を話せることが知られていましたので、通訳を入れたら、時間稼ぎと見られてしまいます。結局、弁護団からは、豊田社長は日本語で、僕は英語でやるようにアドバイスを受け、公聴会に臨みました」
公聴会の新たな日程は2月24日―。奇しくも稲葉氏の誕生日だった。
「隠すものは何もない」―トヨタのイメージ好転へ
公聴会対策として、豊田社長と稲葉氏の2人は、弁護団を前にした想定問答のリハーサルを3日間行い、入念に準備をするはずだった。ところが豊田社長は2日目から姿を現さなくなる。稲葉氏は首をかしげたが、本番の公聴会で、豊田社長の手元のメモを見て、彼の戦略を読み取った。
「彼は彼自身で本質を掴んだんです。議員達は、自分が厳しく追及する姿を選挙民に見せたいのだと。豊田社長は、想定質問を大きく5つくらいに分けて、トヨタグループの社長として伝えるべきメッセージを込めた答えを自分で作っていました」
秋の中間選挙を意識して、辛辣な言葉で“トヨタ叩き”を加熱させた議員達の姿は、まさに“政治パフォーマンス”であった。
事故後、アメリカでは「トヨタは何かを隠している」といった報道がされていたが、実際にはトヨタは何も隠していなかった。トヨタ車の電子制御システムにも欠陥がなかった。豊田社長も稲葉氏も、この疑惑だけは晴らさなくてはいけないという思いがあった。
公聴会を終えた二人は、ワシントンで開催されたタウンミーティングに参加。そこには、彼らを激励するために、全米から集まった米国トヨタの販売店、従業員、関係者たちの姿があった。豊田社長は、うれし涙で声を詰まらせながら、力強く、謝辞を送った。
“At the hearing, I was not alone.
You and your colleagues, across America, around the world, were there with me.”
(公聴会で私は孤独ではなかった。米国そして世界中の仲間たちが私とともにいたからです)
拍手喝さいの中、壇上の隣で豊田社長を見守り、支える稲葉氏の姿があった。
このスピーチは大々的にメディアで報道され、日本人、アメリカ人の心を動かした。トヨタに批判的だった日本のマスコミの態度もがらりと変わった。アメリカの騒ぎは「ジャパン・バッシング」であり、それに晒されながら、よく生き延びて帰ってきたと、トヨタの評価は上がった。
公聴会は日本のマスコミの態度を変え、アメリカ側からも一定の評価を受けた。しかし、米運輸省による事故の調査報告が出て、疑惑が晴れたのは公聴会の一年以上後。それまではもやもやした状態が続いた。その中で稲葉氏は米トヨタの体制をどう変え、どう導いたのか、いかにしてV字回復を実現したのか?
次回は、公聴会後から、V字回復の道のり、さらに1990年代のレクサスの成功や中国のトヨタでの戦略など、稲葉氏がケロッグで学んだコラボレーション型リーダーシップを発揮した姿に迫る。
(後半はこちら)
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取材・文責:ケイティ堀内
*この記事は、ケロッグ・クラブ・オブ・ジャパン(ケロッグ経営大学院 日本同窓会)が運営するサイト、ケロッグ・ビジネススタイル・ジャパン向けに執筆したものです。