リーダーのストーリー
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アメリカのソース王:ジュンキ・ヨシダ

アメリカのソース王:ジュンキ・ヨシダ

先週、海外から二人のジャーナリストを自宅に招きました。一人は、インドの「タイムズ・オブ・インディア」でコラムを書いている20代の女性。もう一人は、タイの「ザ・ネーション(雑誌)」で、映画や国際事情など様々な取材をしていて、彼女も若く、20代。二人とも、日本のポップカルチャー(アニメ、漫画、ゲーム等)を取材にきたのです。

私達は、ほとんどの時間、日本の文化を共有したり、冗談を言って過ごしましたが、新聞などで知りえる両国の状況についても質問しました。例えば、インドとパキスタンとの国境問題や、タイ政権の不安定さ、などなど。 それは、日本の新聞の見解とは全く異なるものでした。

世界を知る情報源として、日本のメディアはもちろん有効ですが、加えて、現地の知人などと意見交換すると、ぐーっとその国への理解が深まるように感じました。

 

今回は、一目見たら忘れられないキャラを持つ、アメリカの成功者、ヨシダ・ジュンキ氏のステキポイントを探ってみたいと思います。

http://www.junkiyoshida.com/index.php

「ヨシダ・ソース」というブランド名で、バーベキューソースを大ヒットさせたヨシダ氏。会社を1982年に設立し、今では、ヨシダグループ傘下に18社、輸出先は世界10カ国、そして年商200億円にまで成長しました。

数々の賞と共に、2003年には、アメリカの中小企業局(Small Business Administration; SBA)が選ぶ全米24社に選ばれ、FedEx, インテル、アメリカン・オンライン等と共に、殿堂入りを果たしました。

ヨシダ・ジュンキ氏とは、いったいどんな人物なのでしょうか?
彼の生い立ちと現在について、少し紹介しましょう。彼は、1949年、京都で在日コリアン2世として生まれ、4歳のときに事故で右の視力を失うという大きなハンディキャップを負いました。

父親は、誰をも許す心優しい人でしたが、生活力がなく、母親の女手一つで育てられました。もちろん、貧乏だったし、外国人で、片目が見えないことで、よくからかわれ、そのくやしくさから、学生の頃は喧嘩に明け暮れる毎日でした。

中学1年の時、強くなりたい一心で、空手を習い始めました。以降、その魅力に取り付かれた彼は、稽古に明け暮れました。

その後、彼の人生に変化が起こりました。1964年の東京オリンピックで、誰もが日本女子バレーチーム「東洋の魔女」に熱狂している中、彼は、アメリカ選手の活躍に釘付けになったのです。また、アメリカの国歌を聴いては、涙を流しました。

この時、彼は、「強いアメリカ」を発見し、自分の心に「アメリカに行く」強い決心をしたのです。母親は、自分のなけなしのお金から$500と、そして、近所から借金をしてくれ、1968年、19歳で渡米を実現させました。

アメリカでは極貧生活で、車上生活と2度の飢餓で病院に運ばれたほどです(凄まじい!)。でも、彼はあきらめませんでした。

まず、空手道場を開いて生活資金を工面した後、ふとした事をきっかけに、BBQソースを作り始め、ビジネスを軌道にのせました。その後は、4度の倒産の危機を見事に乗り越え、事業を成功させ、アメリカン・ドリームの体現者となりました。

そんな彼のステキポイントを考えてみました。

●ステキポイント1:すでに持っている能力を異国の地で最大限に試した事

英語もろくに話せない(だから大学入学許可もおりなかった)、お金もろくにない(車の中で生活していた)、滞在許可もない(不法移民)、人脈もない。ない、ない、ない、づくしの彼がとった方法は、「すでに持っている能力で勝負する」ことでした。

まず初めに、日本で学んだ「空手」で、道場を開いたのです。幸運な事に、当時のアメリカは、ブルース・リーを初めとした
カンフーブームで、反応は上々でした。家賃250ドルで場所を借り、一人25ドルの月謝で、30人以上の生徒を集め、その後、大学、警察学校、FBI、有名スポーツクラブなどからの引き合いで、生徒数が増え、生活を安定させたのです。

しかし、そうやすやすと、事は上手く運びませんでした。

1980年初頭の不況により、生徒数が3分の1に減り、結婚していた彼は、家族を養う目処を失い、窮地に立たされました。1981年のクリスマス。道場の生徒さん達からたくさんもらったクリスマス・プレゼントのお返しができない。

そこで彼は、なんと、手作りバーベキューソースを、プレゼントしたのです。
彼は、母が京都で経営していた焼肉屋で、「醤油、砂糖、みりん」を8時間煮込んだソースのレシピを覚えていたのです。小瓶に入れて配ったところ、大変好評で、お金を払ってでも欲しい、という程でした。

この出来事をきっかけに、道場の1階で、ソースを作り始め、会社を1982年にスタートさせました。

この例を見て、なぜそんなに大成功したのかと疑問を感じる人もいるでしょうが、「豆腐」、「寿司」、「カラオケ」、「マンガ」など、日本では、当たり前で特に珍しくないことが、それをベースに工夫を加えることにより海外では大きなヒットを生む事があるのです。

私が悔やまれてならない事は、アメリカ滞在時に、日本人特有の良さを発揮できなかった事です。あまりの文化の違いに、日本を理解してもらう自信が持てず、アメリカを理解するのに必死でした。

でも、彼は違ってました。彼は、その日本生まれのソースを、日本人ではなく、アメリカ人市場に、大々的に仕掛け、大成功させたのです。

世界で勝負しようと思ったときに、今一度、自分に既に与えられている能力を再認することの大切さを感じます。自分を捨てて、一から学ぶ必要なんてない!のです。この方が、早く勝負できるし、また、自分の100%活かす事につながります。

ヨシダ氏は、日本発グローバル人の良いお手本だと思います。そして、私たちも彼に多くを学び、「自分軸を持った」、日本発のオンリーワンを目指したいと思います。

●ステキポイント2:ユニークなプロモーションで、知名度を抜群に上げたこと

彼のプロモーションは、強烈です。体は少々太め(失礼!)、細めの目と、銀縁のメガネをかけた彼が、なんと、エルビス・プレスリー、バレリーナ、ちょんまげに着物、など数々のコスプレルックで、スーパーの店頭デモを開始したのです。

アメリカのスーパー等、品揃いの多さは、一度訪れた人ならわかります。日本の3~4倍もあるのではないでしょうか? それは、他民族国家で、「選べる」選択肢を求めるアメリカでは重要だからです。

ただ、そこで、選んでもらうには、「抜きん出て目立つ」必要があります。日本では当たり前の、店頭デモ(試食)を、コスプレ姿で勝負した彼は、大成功を収めました。その後も、地元テレビで、コスプレルックのCMをコメディタッチで流しました。現在では、彼のソースを使った料理番組もやってます。

お陰で、アメリカ中の多くの人が彼の名前を知る程、知名度はアップしました。

彼は言います;

「商品を売ろうと思ったら、まず自分を売ること。自分を信頼してくれたら、商品は自然に売れていく」。

また、

「絶対に、ビジネスを成功させてやる、という情熱があれば、恥ずかしいとか、はしたない、とかいう声など、気にならない。情熱があれば、Law of Attraction (引き寄せる法則)で、周囲を巻き込み、求めている方向へ進むことができる」。

今では、世界で7番目、売上高5兆円を誇る巨大スーパー、「コストコ(Costco)」で、ヨシダソースは常連です。そして、コストコの日本進出に伴い、数年ほど前から、日本での販売も開始しました。(Costcoは、町田市、幕張、尼崎など多数店舗があります)
http://www.costco.co.jp/

生き馬の目を抜く激烈な競争社会、アメリカ。そこで勝ち抜くには、出る杭となり、「自分を前面に出した」インパクトのあるプロモーションをする。

まさに、自分ブランドの成功事例だと思います。

●ステキポイント3:一人ではなく、周囲のサポートを得た事。
そしてその恩を十二分に返していること。

誰にも借りを作らないで成功する、そんな姿は、かっこ良くても、現実的にはとても大変で苦しい事です。現に私も、アメリカでは、他人の助けなくては、何もできない状況でした。

ヨシダ氏は、その成功への過程で多くの方からのサポートを得た一人です。

まず、長女クリスティーナが生まれて5日目に、命の危険を伴う難病になり、無保険の中、入院しなければなりませんでした。途方にくれているそんな彼の状況を知った病院は、なんと、たった$250しか請求しなかったのです。

自分の命を差し上げても助けたかった娘の、この苦難を思い起こすたびに彼は涙するそうです。そして、命を助けてくれた病院、そして、アメリカにこの恩を必ず返す!と、心に誓いました。成功した今、小児病院に対して、多くの時間を割き、多額の寄付で恩返しをしています。

次に、義理のお父さんです。妻リンダの父親は、彼がアジア人である事を受け入れられず、長い間、彼を「息子」と呼びませんでした。しかし、ヨシダ氏の奥さんへの愛、事業への情熱が伝わったのでしょう。彼が、倒産の危機に瀕した時に、自宅によんでくれました。

そして、ユナイテッド航空で長年勤務して受け取った退職金160万ドル(約2000万円)を、契約書なしで貸してくれたのです。断る彼に、ぜひ使って欲しいと、歩み寄りました。そのときから、Son、Father(息子、父)の仲になったそうです。そして、ヨシダ氏は、またしても、このお金を必ず成功に結び付けて、必ず返す!、と決意しました。そして、見事に事業を大成功に導きました。

最後に、アメリカという国に対してです。今、彼は、億万長者です。しかし、それを外車や宝石などに使うのではなく、アメリカの若者、弱者を救うために多くのボランティア団体に奉仕しています。自分のような、ろくでなしの移民を受け入れてくれた「強いアメリカ」に恩返しがしたいからだといいます。

彼は、

「ビジネスの成功者といわれるよりも、人生の成功者と言われてたい。」と言います。

私も含め、多くのものが他人の力を借りる事は、まるで自分の弱さを露呈するようで、避けがちです。また、他人に迷惑をかける、と思っています。しかし、彼のように、「ビジネスでお金をもうけて、必ず恩返しをする」という決意があれば、結果として、Win-Winになるんですね。

困っている人があれば、何か力になる。そして、自分が困っていたら、相談できる友人やパートナーを持つ。共存共栄の精神は、とてもステキだと思います。困っているときに助け合えた相手とは、深い友情関係を築くことができます。

●ステキポイント4:株式公開をしないという考え方

彼は、

「国としてのアメリカは大好きだけど、“コーポレート・アメリカ”ちゅうのは、どうもいかん。株式の力ばかり強すぎて、目先の利益だけを追うようになってしまう」

「商売が駄目になっても、社員をクビにできない」

という考え方を持っています。

アメリカでは、株式公開をしてミリオネアになるのは、ビジネス成功者の王道です。しかし、株式公開すると実際にどうなるか。全ては「計画」通り、いや、それ以上の利益を出して、株価上昇、高配当へ株主貢献することに最大のエネルギーを注がなくてはならなくなります。さらに、社員やお客様の意向よりも、増収増益を求める株主の意向に、大きく左右されてしまいます。

またアメリカでは、業績の如何で、社員がクビになるのは、当たり前です。

そんなアメリカの常識を、ヨシダ氏は否定します。彼がビジネスを立ち上げたその理由は、「恩返しを必ずする」からなのです。自分がお金持ちになって、高級車を乗り回したりする為ではないのです。

小さな会社を創業した私達も、株式公開を目指しません。なぜなら、株式公開で、ミリオネアになり、金銭に追い回される会社よりも、まず、社員やお客様を喜ばせ、夢を追い続けられる母体になる会社を持ち続けたい、そんな願いがあるからです。

もちろん、大きな投資が必要なインフラ系の企業などは、株式公開によって、お金を効率よく調達できるメリットはあります。しかし、全ての企業が株式公開がゴールだとは思えません。企業経営をする上で、創業当時のビジョンを思い出し、初心に帰ることが大切だと思います。

いかがでしたか?吉田氏が、新しい本を出版しました。彼の生き方をより深く学びたい方にお勧めです。

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