偏見に満ちた時代、人の幸せのため自らの信念を貫いた “青い目の近江商人”:W.M.ヴォーリズ(1)
「分け隔てなく人を雨風から守る屋根を作ろう」
まもなくクリスマスを迎えるこの時期、日本にキリスト教を伝えるため来日した一人の人物を紹介したい。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(W.M.ヴォーリス:以下、ヴォーリズ)は、米国に生まれ、明治から昭和にかけて、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者だ。建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現・近江兄弟社 メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。
ヴォーリズは、アメリカの高校を卒業後、建築家を目指し工科大学入学も決定していた。
しかしある日、キリスト教の伝道活動を行う女性講師の講演に衝撃を受け、強い使命感に突き動かされ、建築家の道より自らも外国伝道に身を捧げる決意を固める。
1905年、滋賀県立商業高校の英語教師として来日したヴォーリズだったが、持ち前のユーモアセンスと冗談の多い話しぶりにすっかりヴォーリズに魅了された学生たちは、いつしか授業後にヴォーリズの家へ集まるようになった。 後に生涯の片腕となる吉田悦蔵も、その中の一人だった。
こうして、好奇心に溢れた学生たちへの伝道活動が始まる。 最初は敢えて、お説教程度に留めていたが、建築家を志すヴォーリズらしく、ある日 こんな話をした。門井慶喜氏は、その著書「屋根をかける人」の中でこう表現している。「私たちは、屋根を作りましょう。 屋根は、国や宗教人種問わず、平等に雨風から人を守る。その下に温かい団欒の場ができ、国境を越えて世界と繋がることができるのです」。「国境を越えて世界と繋がる・・」この言葉が、学生たちの心を震わせた。 社会情勢の変化に伴って、かつて持て囃された近江商人の末裔から、人通りもさみしくなった近江八幡の田舎者に変わりつつある彼らの複雑な自尊心に火を点けたからであろうか。
一方、好奇心で自然に集まった群衆は、自然に壊れやすいことも理解していたヴォーリズは、学生たちにそれぞれ役目を与え、帰属意識に繋がる仕組みもしっかり考えた。
慎重に信頼関係を築き、組織が出来上がってきた矢先、事件が起きた。ヴォーリズ宅に集まる学生たちの噂話は一気に広まり、校長の耳にも入った。
ヴォーリズが来日してわずか2年で、仏教が長年根付く近江の土地で、若い学生たちが異教に次々と関心を向け始めるということに反発する親も多く、校長を含めた大人たちの宗教観に基づいたあるべき姿は頑なだった。
まだキリスト教に心を固く閉ざしている時代故に、校長の権力にも抗えず、ヴォーリズは職を失ってしまったのだ。
文:三ツ本有紀子 / 編集:堀内秀隆
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