ステキ人ストーリー
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偏見に満ちた時代、人の幸せのため自らの信念を貫いた “青い目の近江商人”:W.M.ヴォーリズ(2)

偏見に満ちた時代、人の幸せのため自らの信念を貫いた “青い目の近江商人”:W.M.ヴォーリズ(2)

「建物の風格は外観より中身に宿る。人格のごとく」

ヴォーリズは、キリスト教を懸念していた人々との摩擦を避けるため、英語教師という職を手放した。就任後、2年目のことだった。

>>前回の内容「分け隔てなく人を雨風から守る屋根を作ろう」

そして、職を失い、無一文となった身でも、外国伝道の使命を貫こうとする姿に共感と尊敬の意を示し、通訳・生活費の支援を自ら申し出た吉田悦蔵と共に、ヴォーリズは建築家としての新たな道を歩み始める。やはり、建築に対する情熱はまだ冷めていなかったのだ。しかし、はじめは現場監督の依頼ばかりだった。現場監督としての仕事をやりつつも、ある時、自らの組織で建設事業に直接関わるため、京都YMCA会館工事の監督依頼を快く受けた。そして、伝道活動の経済基盤として建設事務所をその会館内にひっそりと設けた。(その建築事務所での活動が、後に近江ミッションへと組織的発展を遂げ、近江兄弟社に成長することになる。)

ヴォーリズ建築事務所 公益社団法人 近江兄弟社

*ヴォーリズ建築事務所内(提供:公益社団法人 近江兄弟社)

事務所は、1920年(大正9年)、ヴォーリズ建築事務所と改名し、学校、教会、デパート、ホテル、オフィスなど1500件あまりの作品を手掛ける、建築設計活動へと成長する。大丸心斎橋店や、大同生命を手掛けた佐藤久勝など多くの協力者がその活動に加勢した結果だった。

ヴォーリズ自身、日本人のみに止まらず、LGチェーピンを始めとする多くのアメリカ人建築技師の協力も得ながら、海外技術の吸収にも余念がなかった。


(提供:公益社団法人 近江兄弟社)

彼の建築物の特徴は、まさにヴォーリズの想いそのものといえるだろう。

外装や様式ばかりの華やかさや美しさを主張したものでなく、「依頼主の日常」を密なやり取りの中で汲み取り、快適で健康を守るに相応しい能率的な内容を重視したものだった。

各部屋の設え方、家具や備品も作品の一部として捉え、依頼主にどのように用いられるかまでも考え抜いた。それ故に、ヴォーリズが一番情熱を注いだのは一般住宅であり、その手掛けた数も多い。


*ヴォーリスが過ごした住居は記念館となり、その魅力を今に伝える(提供:公益社団法人 近江兄弟社)

生活する人々の日常が、「安らぎと温かい人間関係で満ち、時間を共有しながら洗練されていく趣きを感じられる」住宅・建築こそ、彼の建築家としての在り方を表す形となった。

次回12月24日へ続く

文:三ツ本有紀子 / 編集:堀内秀隆

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