偏見に満ちた時代、人の幸せのため自らの信念を貫いた “青い目の近江商人”:W.M.ヴォーリズ(3)
「戦争と隣り合わせの時代、人々と国の平和に貢献」
建築家として、多様な建築物を手掛けられるようになるに伴い、ヴォーリズは実業家として、社会奉仕活動も始める。
- >>前回の内容「建物の風格は外観より中身に宿る。人格のごとく」
>>前々回の内容「分け隔てなく人を雨風から守る屋根を作ろう」 - その頃には、ヴォーリスが始めた近江ミッションは、近江セールズ株式会社と改名し、主に海外商品の輸入販売を行っていた。その1つが、あのメンソレータムだ。
ヴォーリズはアメリカへ建築家を探すために帰国した際、メンソレータム社の創立者、アルバート・A・ハイド氏から、家庭薬メンソレータムの販売権を得ていたのだ。薬用性を重視した誰もが使えるスキンケア商品として、医療施設・保育施設・学校などに出向き、販売を積極的に行った。近江八幡に製造工場を新設してから、日本販売のメンソレータムは、輸入品から国内製造となり、現在の近江兄弟社が生まれる。
建築物の内装にとことん拘ったのと同様に、販売する商品も品質の魅力を徹底して伝えた。それは、「誰もが笑顔になれる」「健康で生き生きとした毎日を願う」という想いを広げる本業を通じた社会奉仕でもあった。
近江商人の「売り手よし・買い手よし・世間よし」の精神を、ヴォーリズ自身が共感していたからではないだろうか。
教師として来日してから、建築家・実業家として様々な活動をして行く中で、ヴォーリズの使命は彼自身の力で洗練されていったのだろう。日本から世界へと広がった。平和を願い、誰もが幸せになれることを考え、出会う人々との会話を大切にした。
こんなエピソードもある。近衛文麿が総理大臣となる前、軽井沢の別荘仲間として親睦を深めていたことがきっかけで、1945年マッカーサー元師と近衛文麿元首相との会談実現のために活躍した。その後、昭和天皇に労いの言葉もかけられた。英語教師の職を追われた時代には想像もできなかった奇跡である。
*社会公共事業への功績により藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受ける:
1954年/昭和29年(提供:公益社団法人 近江兄弟社)
様々な事業を成長させ、偉業を成し遂げながらも、ヴォーリズは心身ともに健康であるために、規則正しい生活を徹底し、決して華やかな暮らしをしなかった。自ら手本となり、健康で過不足ない、心安らかな空間と人々との関わり合いの中で、ヴォーリズは最後まで人生を楽しみ、人々の幸せを願い、自らの信念を実践したのであった。
今回の記事で紹介したことは、数あるヴォーリズの偉業の一部だ。詳しくお知りになりたい方は、様々な資料や記念館を訪ねられることをおすすめする。では、メリークリスマス!
文:三ツ本有紀子 / 編集:堀内秀隆
参考:
ヴォーリズ記念館
M.ヴォーリズライブラリー
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
一柳社ヴォーリズ建築事務所
近江兄弟社ホームページ
「屋根をかける人」 門井慶喜
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