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より良く生きる事こそが全て:アルメニア人夫妻から学んだこと(2)/ 全3回

より良く生きる事こそが全て:アルメニア人夫妻から学んだこと(2)/ 全3回

(English of this Article)

私たちが、次にアルメニア人夫妻に会ったのは1月下旬だった。日本に来た経緯を尋ねると、率直に、歴史や自分に起きた出来事、そして想いを語ってくれた。

・より良く生きる事こそが全て:アルメニア人夫妻から学んだこと(1)

かつてアルメニアは、ソ連邦の構成国だった。黒海とカスピ海に挟まれた内陸国で、コーカサスとよばれる地域にある。周囲は、イラン、トルコ、ジョージア(旧称グルジア)などの国々が取り巻いている。地理的に欧州よりも、むしろ中東に近い。

夫妻はアルメニア人というものの、生まれも育ちもシリアだという。それには、アルメニアという国の歴史が関係している。近世から近代にかけて、アルメニアはロシア、ペルシャ、トルコに支配されつづけた。そして19世紀末から20世紀初頭にかけて、トルコ領内のアルメニア人は、トルコ政府によって、二度にわたる虐殺という悲劇に見舞われることになる。その数は、19世紀末に30万人。20世紀初頭に100〜150万人という大規模なものだった。(*100年以上が経った現在でも、トルコはこの悲劇を歴史的事実として認めていない)



アルメニア人は、トルコからシリアに向かって逃げ、その後も追われ続けた結果、今では世界各地に散らばって暮らしている。アルメニア本国の人口は300万人だが、周辺国やアメリカなど国外には700万人もいるそうだ(ただし歴史的経緯から、隣国のトルコには殆どいないという)。


そういう訳で、私たちの目の前にいた夫婦も、シリアで生まれ育った。しかし、世界を震撼させたイスラム国(IS)の脅威が、ある日彼らの平穏を奪った。ISの攻撃によってアパートが爆発された彼らは、逃げるようにアルメニアに移住したのだ。

周辺国に蹂躙されつづけ、ユダヤ人のように「さまよえる民」となっている彼らは、祖国に帰還しても安心できないと感じていた。そして妻の妹が留学先の日本で大手電機メーカーに就職したという縁もあり、世界で最も安全だと言われる日本にやって来たのだった。 もちろん日本語は分からない。住む家もない。生計を立てるあてさえもない。知人と言えば、妻の妹一人だけだ。

しかし彼らは「自分たちは大丈夫だ」と、朗らかに、きっぱりと言った。祖父の代から移動しては追われ、移動しては追われ、の繰り返しだった。人知れず辛苦をなめてきたはずである。にもかかわらず、明るいのだ。希望を失っていないのである。

次につづく

(C)ケイティ堀内 (構成:yanvalou)

 

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